
生年月日、経歴等は不明であるが、沢田家は、間宮、村井、油川、田中等の諸家と共に大鰐の古い 居木地師である。木村弦三は〈木形子異報・6〉で明治20年の沢田九郎兵衛の挽物値段控帳について下記のように紹介している。 「今は死ん… 続きを読む
生年月日、経歴等は不明であるが、沢田家は、間宮、村井、油川、田中等の諸家と共に大鰐の古い 居木地師である。木村弦三は〈木形子異報・6〉で明治20年の沢田九郎兵衛の挽物値段控帳について下記のように紹介している。 「今は死ん… 続きを読む
明治18年酒田に生まる。高橋直広の最初の弟子。酒田市上内匠町で木工所を経営し、昭和23年2月29日、64歳で没した。 こけしは作らない。昭和の初めころ、こけし作者として誤り伝えられた。〈こけしと作者〉では「私の入手したの… 続きを読む
慶応3年5月27日、宮城県刈田郡遠刈田新地の佐藤文吉の長男に生まれた。明治18年1月より、義兄佐藤茂吉について一人挽きを6ヵ月修業した。明治19年弟文平に、明治25年弟文六に一人挽きを伝承した。明治23年に東京上野公園に… 続きを読む
〔人物〕昭和5年3月17日岩手県稗貫郡花巻町東町(現花巻市)の木地業佐藤末吉の長男に生まれる。父末吉の姉よねは、伊藤松三郎に嫁いでいた。その関係から父末吉は松三郎より木地を習得し、一緒に浅虫や北海道で仕事をするなど行動を… 続きを読む
生年没年は不明。山形県北村山郡市野々(現在の尾花沢市市野々)の生まれ。明治30年代に鳴子の高橋勘治の弟子となり、約3年ほど修業し働いた。こけしの製作も行った。兄弟子に菊地英次郎、菊地三九郎兄弟がいて、菊池兄弟が挽く時には… 続きを読む
清水晴風編の〈うなゐの友〉はこけし図版を掲載した最初の文献として知られる。 編者清水晴風は当初〈うなゐの友〉十編を出す予定であったが、六編までで亡くなったので、版元芸艸堂山田直三郎の勧めで西澤笛畝が後を引き継ぎ完成させた… 続きを読む
〔人物〕 明治13年鶴岡に生まる。同市大宝町で木地業を営んだが、師匠、こけし製作の有無などについて問題の多い工人である。〈こけしと作者〉には、未亡人と息子鉄太郎の話として、温海の阿部常松に師事し、仕事振りはきわめて厳密で… 続きを読む
〔人物〕 大正13年2月27日、福島県松川町水原字脇ノ久保43に生まる。農業茂木勝平・ハンの三男。昭和13年3月水原尋常高等小学校卒業。埼玉県川口市領家町の川口化学工業㈱に入社、20年2月満州牡丹江145部隊技術兵として… 続きを読む
〔人物〕 大正14年3月9日、田代の木地師早坂民治、けさよの長男に生まれた。曽祖父民治(みんじ)祖父早坂繁蔵、父民治(たみじ)、ともに加美郡田代の横木挽き木地師である。曽祖父民治は、明治13年に仙台区公園で開催された宮城… 続きを読む
〔人物〕明治11年7月19日、秋田県雄勝郡皆瀬村川向二五六の木地業小椋徳右衛門・マサの四男に生まる。母マサは小椋勇右衛門の妹である。亀治、庄太郎、米蔵は兄、石蔵は弟である。姉カネは塗師小野寺梅太郎の嫁となった。木地は父徳… 続きを読む