
大正12年仙台市の愛好家菅原武平、三原良吉、小野臺蔵、天江富弥、鈴木喜三郎(軍治)、今野定一によって郷玩の収集、研究を目的として発足した。研究会、展覧会等を開催した。大正13年発足の関西の婢子会と並んで斯界で最古のこけし… 続きを読む
大正12年仙台市の愛好家菅原武平、三原良吉、小野臺蔵、天江富弥、鈴木喜三郎(軍治)、今野定一によって郷玩の収集、研究を目的として発足した。研究会、展覧会等を開催した。大正13年発足の関西の婢子会と並んで斯界で最古のこけし… 続きを読む
〔人物〕昭和33年9月3日、兵庫県明石の工員中川昇の二女に生まれた。昭和57年に岩手県和賀郡湯田の小林元と結婚した。小林元はこけし工人小林定雄、輝子夫妻の長男である。元は一時こけしを作った後、製作を中止していたが、昭和5… 続きを読む
〔人物〕猪苗代町のこけし工人瀬谷重治の妻女であり瀬谷幸治の母親。こけしの描彩を行い、頒布されたこともあったが余り知られていない。 スイは昭和2年2月9日、佐藤左右輔(そうすけ)、ヨシの八人兄弟の第八子(男四人・女四人)… 続きを読む
慶応元年6月10日、鳴子大沼勝蔵の長男に生まる。木地は父勝蔵について学んだ。明治22年ころより3年間一家を挙げて瀬見に渡り、瀬見橋の畔で木地屋を開業した。その後、鳴子へ帰り旅館ゆさやの隣で木地を開業したが、明治30年代に… 続きを読む
〔人物〕 昭和24年5月26日北海道名寄市の工夫小島正一・京子の長男に生まれる。昭和38年小学校卒業とともに青森県温湯温泉の佐藤善二のもとに移り、黒石市の東英中学校に通った。善二は東英中学でこけし教室を開き、希望の生徒に… 続きを読む
〔人物〕 昭和28年1月8日、岩手県八幡平市(旧西根町大更)の製材技師田山正蔵の4男に生まれる。自家の近くに木地業石井誠朗の妻の姉が居て、同じ町会であったため親しく、中学2年のころから石井のところで仕事をしないかと勧めら… 続きを読む
〔人物〕明治10年4月12日、福島県信夫郡土湯村字上ノ町の渡辺作蔵・クラの二男に生まれる。戸籍表記は渡邊。父作蔵は佐久間弥七の二男で浅之助の弟、渡辺源五郎の孫クラの婿となった。角治の長兄に久吉がおり、久吉は膽澤為次郎につ… 続きを読む
〔人物〕 昭和24年5月18日山形県酒田市上内匠町の木工所経営本間久雄長男として生まれる。久雄の経営する作業場で木地を挽いていたが、昭和51年10月の酒田大火で自宅及び作業場を焼失、以後は市内若浜町へ転居しサラリーマンと… 続きを読む
〔人物〕昭和10年6月15日、白石市の木地業佐藤次雄の二男に生まれた。父次雄は弥治郎の佐藤勘内、ふよの二男であり、木地も挽いたが、後に長く自動車の運転手をしていた。戦後、父の次雄は運転手をやめて木地業を再開したが、おもに… 続きを読む
〔人物〕 明治35年10月11日、斎藤松治、フクの二男として蔵王高温温泉に生まる。小学校在学当時よりロクロに親しみ、大正2年蔵王第三尋常小学校卒業後正式に父松治につき木地修業、こけしを盛んに作った。兄弟弟子に斎藤源吉、… 続きを読む