明治17年4月17日生まれの日本画家、黄平と号した。 秋田県出身で放浪の画家といわれた寺崎広業(慶応2年2月25日―大正8年2月21日)に師事、寺崎は明治31年に東京美術学校助教授、明治34年に教授、日本画主任になり、野… 続きを読む
明治17年4月17日生まれの日本画家、黄平と号した。 秋田県出身で放浪の画家といわれた寺崎広業(慶応2年2月25日―大正8年2月21日)に師事、寺崎は明治31年に東京美術学校助教授、明治34年に教授、日本画主任になり、野… 続きを読む
〔人物〕 昭和32年5月10日福島県岳温泉の会社員大内修二の二男に生まれる。 母は大内一次の妹であったが、一次に子供がいなかったため夫婦で一次の養子となった。したがって一次は慎二にとって伯父であり祖父であった。 和光大学… 続きを読む
〔人物〕 昭和62年8月21日、独立行政法人勤務、父の貴佳(きよし)、優子の二人兄妹の長男として広島県広島市で生まれる。父の転勤が何度かあり兵庫県姫路市に住んだ事もあったが、埼玉県で長く暮らした。浦和学院高等学校では弓道… 続きを読む
〔人物〕昭和11年7月25日、宮城県刈田郡遠刈田新地のこけし工人佐藤護の次男に生まれた。昭和26年、遠刈田中学校を卒業してから、父護のもとで木地の技術を習得した。 こけしは昭和30年頃より作っており、昭和35年ころには仙… 続きを読む
〔人物〕 明治35年6月5日、福島県土湯温泉の佐藤嘉吉・スイの二男に生まれる。嘉吉は土湯の佐藤兵吉の次男で、膽沢為次郎について木地を修業した人。為次郎は兵吉の家の二階にロクロを据えて、足踏みロクロ… 続きを読む
〔人物〕 明治16年11月25日福島県安達郡岳温泉の旅館主鈴木治三郎・カメの次男に生まれる。父治三郎は、明治10年安達郡石井村鈴石字堀越より婿入りし、温泉宿扇屋を営む傍ら農業にも従事していた。この当時の岳温泉は深堀という… 続きを読む
〔人物〕文久2年ころ弥治郎に生まる。父は横川木地師小椋栄三郎の弟で弥治郎に婿にきた佐藤熊治、母は佐藤東吉の姉なみで熊治の代に別家して独立した。幼名を熊太郎という。明治2年の凶作で熊治、なみは生活に困り子供を残して北海道へ… 続きを読む
小松伊三郎ともいう、山形県上ノ山生まれ。蔵王高湯系岡崎栄治郎の弟子。大酒のみのうえ酒乱で、一ヵ所に定着できず、肘折、及位、蔵王高湯、釈迦堂などを職人として転々とした。 佐藤丑蔵によれば、肘折にいたころは美人で唄の上手な妻… 続きを読む
〔人物〕昭和50年3月28日、仙台市の我妻敏の長男に生まれる。昭和63年に仙台市太白区秋保町湯元に「秋保工芸の里」がオープンすると、一家はそこに移って「我妻こけし製作所」を開き、こけしの製作を続けた。平成6年4月より父の… 続きを読む