太田孝淳

〔人物〕昭和14年1月27日、福島県福島市小田字位作山のの曹洞宗陽林寺の僧太田騰雲の二男に生まれる。陽林寺は永正13年(1513年)の開基で伊達公の庇護を受けた由緒ある寺。二階建ての山門が有名であり、また寺所有の伊達家文… 続きを読む

伊藤作兵衛

〔人物〕山形県蔵王温泉の商店主。昭和30年代半ばに山寺の石山和夫を職人として招いて蔵王高湯系式のこけしを作らせて販売した。こけしは伊藤作兵衛名義で売られていた。和夫が山寺に帰ってからも同趣の作を依頼して作らせ、取り寄せた… 続きを読む

西山辨之助

〔人物〕  嘉永5年11月13日、福島県信夫郡土湯村上ノ町の西山濱吉、サクの長男に生まれる。名前表記は文献によって「辯」「弁」が使われるが、戸籍上は「辨」が正しい。 父濱吉は佐久間亀五郎二男、土湯の首の回るこけしの創始者… 続きを読む

佐藤佐志馬

〔人物〕   明治40年2月19日、福島県野地温泉の旅館業加藤屋の佐藤嘉吉、スイの三男に生まれる。嘉吉は膽澤為次郎から一人挽きを学んでおり、冬期は土湯に下りて木地業に従事していた。嘉吉の長男忠太郎は野… 続きを読む

大沼岩蔵

〔人物〕  明治9年2月10日(旧暦明治 9年1月16日)、宮城県玉造郡鳴子町湯元の木地業大沼甚三郎・ときの長男として生まれる(一説に明治8年生まれともいうが戸籍上は明治9年である)。父甚三郎は大沼家の甚五郎次… 続きを読む

平賀忠

〔人物〕 昭和12年9月28日、宮城県作並の平賀多蔵の長男に生まれる。父多蔵は昭和16年に出征、18年にガダルカナルで戦死したので、父から木地を習う機会はなかった。 昭和28年広瀬中学校卒業、その年17歳で山形の小林誠太… 続きを読む

小林忠次郎

〔人物〕 昭和7年2月18日山形市六日町の木地師小林清蔵の二男に生まれる。中学生のころから父清蔵について木地を修業、昭和19年から3年間は足踏みロクロ、昭和22年以降は動力ロクロとなった。山形中央高等学校を卒業すると、6… 続きを読む

西須政芳

〔人物〕明治40年、米沢市御守町の西須政太郎の長男として生まれた。本名政義、こけしに署名するときだけ政芳を用いた。大正9年県立米沢工業学校を卒業、春日町で石井木工所を経営していた石井酒(みき)に弟子入りした。石井酒は岐阜… 続きを読む

志田栄

〔人物〕 大正10年3月28日、山形県西村山郡大井沢村の農業・木地業志田善見(五郎八)の三男に生まれる。9人兄弟の8番目であった。昭和9年に小学校を卒業し、昭和13年頃より父五郎八の手伝いをするうちに自然に木地挽きの技術… 続きを読む

佐藤重松

〔人物〕 慶応元年6月29日、佐藤菊治長男として遠刈田新地に生まれた。明治10年より父菊治につき木地修業、同18年田代寅之助につき一人挽きを学んだ。同年8月、田代と共に青根の丹野倉治工場の職人となった。ここで弟治平はじめ… 続きを読む