燐票とはマッチの箱に貼られたラベルあるいはレッテルのこと。マッチを漢字で燐寸と書くのでそのラベルを燐票という。 大正期から戦後までの時期、商店、理容美容室、飲食店、旅館などでは来客に店を象徴するようなデザインを凝らした燐… 続きを読む
佐藤一男
〔人物〕昭和6年3月11日、福島県土湯温泉町下ノ町のアサヒ写真館佐藤兵七、サ生(さい)の長男に生まれた。祖父は佐藤嘉吉。学業終了後福島市内の写真館に弟子入りし、3年間住み込みで技術を習得した。その後、土湯の実家の写真業を… 続きを読む
渡辺義衛
〔人物〕昭和9年3月12日、福島県土湯温泉上ノ町の山仕事、製炭業渡辺伝次郎、ハツの八人兄弟の四男に生まれた。福島営林署の委託を受けて林業に従事した。この仕事の関係上、特殊材等にはこけし工人からの需要もあり、徳永慎一、渡辺… 続きを読む
松田昭司
昭和13年6月5日生まれ。昭和35年から宮城県玉造郡鳴子町の秋山忠市に師事して木地の修業を行った。昭和59年に師の忠市が亡くなってからは、後を継いだ忠男を援けて職人として働いた。木地のみで描彩は行わず、昭司の作品は確認さ… 続きを読む
フヂヤ郷土玩具店
戦前に、東京市本郷区春木町3ー11(現在の文京区本郷3丁目38)で、加藤滋が経営していた郷土玩具店。「フジヤ」と書いた文献もあるが、正式の店名は「フヂヤ郷土玩具店」。 本郷三丁目から上野広小路へ向かう電車通り(現在の春日… 続きを読む
趣味のこけし展(神戸)
昭和29年4月に東京で開催されたこけし展に続いて、東京こけし友の会主催で5月1日より6日まで三越百貨店神戸支店で開催されたこけし展。〈こけし友の會だより・8、9号〉に神戸でのこけし展開催の経緯と概要が下記のように報告され… 続きを読む
武井武雄
童画家。昭和初期の郷土玩具の蒐集家で、体系的なこけしのコレクターでもあった。 明治27年6月25日、武井慶一郎、さちの長男として長野県諏訪郡平野村(現岡谷市)の裕福な地主の家に生まれる。武井家は代々諏訪藩の御用を努め、私… 続きを読む
趣味のこけし展(東京)
昭和29年4月13日から18日まで、東京日本橋の三越百貨店において東京こけし友の会が企画して開催されたこけし展。 下記は〈こけし友の會だより・8・9号〉に載った趣味のこけし展報告「こけし展だより」。 友の会主催の趣味の… 続きを読む
加賀山昇次
東京こけし友の会初代会長を務めた。 千葉医科大学(現 千葉大学)法医学教室で加賀谷勇之助教授のもとで医学を学ぶ。血球抗原性に関する研究等を行い、昭和10年に医学博士号を取得する。このころ、東京松坂屋で開催されたこけし展を… 続きを読む
小椋亀代司
〔人物〕昭和2年9月29日、石川県輪島に生まれた。職業軍人となり、戦後盛岡に移って父小椋亀重について木地を習得した。その後、盛岡市城西町12番22号にて新型こけしを主に木地業を営んでいた。 〔作品〕旧型こけしは昭和37、… 続きを読む