西山辨之助

〔人物〕  嘉永5年11月13日、福島県信夫郡土湯村上ノ町の西山濱吉、サクの長男に生まれる。名前表記は文献によって「辯」「弁」が使われるが、戸籍上は「辨」が正しい。 父濱吉は佐久間亀五郎二男、土湯の首の回るこけしの創始者… 続きを読む

大湯

秋田県鹿角郡大湯温泉は、約800年の歴史を持つ古い温泉である。南部領内五湯の一つ「鹿角の名湯」として知られた。当初の四ヶ所の温泉が湧出する共同浴場は温泉小屋となり、やがて湯治宿が並ぶ温泉地へと発展した。江戸時代後期になる… 続きを読む

小安

小安は秋田県湯沢市皆瀬字湯元の古い温泉で、湯坪の開設も400年ほど前と言われている。南部藩から佐竹藩へ抜ける山道があり、子安番所が設けられていた。文化8年には、九代目の藩主佐竹義和が仙北領内巡回の途中、家来300人を連れ… 続きを読む

佐藤久吉

〔人物〕安政5年10月11日、宮城県刈田郡遠刈田新地の木地業佐藤久蔵の長男に生まれる。父久蔵の妹トヨは弥治郎佐藤東吉へ嫁し、その下のトラは新地の佐藤文吉に嫁していた。 久吉は、明治6年16歳で義理の叔父佐藤文吉について二… 続きを読む

熱海嘉兵衛

大正7、8年宮城県刈田郡稲子村で宮城県の後援・補助金をもとに開催された木地講習会の受講者12人の中の一人。講師は佐藤松之進で遠刈田で挽く木地物は一通り教えたという。したがってこけしも作ったであろうが、嘉兵衛の作は確認され… 続きを読む

堂号

中国の文人たちが自分の書斎に好んで趣のある名称をつけ、それを扁額に刻んだり、蔵書印に刻したりした。その書斎の名称を堂号という。こけし愛好家も、自分のコレクションやこけしを並べる書斎に堂号を付ける風が盛んに行われた。 堂号… 続きを読む

当て字

こけし愛好家や趣味人がひらがなの俗をきらって、漢字の当て字を好んで用いたことがあった。 これは江戸・明治期の趣味人たちに漢学尊重の風があり、こけし愛好家もこの風に倣ったことによる。 こけし愛好家は、こうした当て字を用いて… 続きを読む

赤湯

山形県南陽市(旧国出羽国、明治以降は羽前国)にある温泉。 開湯は約900年前、源義家の弟、源義綱が発見したとされる。家臣達がこの温泉で傷を癒した際、傷から出た血でお湯が真っ赤になったことから、赤湯と呼ばれるようになったと… 続きを読む

湯ノ沢

秋田県雄勝郡雄勝町下院内字湯ノ沢にある温泉。平安時代の”後三年の役”の際、源義家がこの湯に将兵を休ませたとの伝承がある。「傷の名湯」として名高い温泉であった。江戸期には湯宿が営まれていたが、明治元… 続きを読む

青根

青根は、宮城県柴田郡川崎町(旧国陸奥国、明治以降は陸前国)、蔵王東麓不忘山の中腹にある標高730mの温泉(硫酸塩泉)。「天文の頃(1532-1555)、前川村の百姓四名が青木の皮で蓑を作らんとして大いなる青木の側に立ち寄… 続きを読む