〔人物〕 明治3年12月9日、山形県西村山郡寒河江町上西小路の大工棟梁鈴木彦兵衛長男として生まる。女の兄弟が二人いた。鈴木家は代々彦兵衛を名のり、米太郎の祖父に当たる人も腕の優れた神社、仏閣等の彫刻師であった。父の彦兵衛… 続きを読む
佐藤次雄
〔人物〕 明治41年1月25日宮城県刈田郡福岡村八宮字弥治郎の佐藤勘内、ふよの二男に生まれる。母ふよは白石の高子仁四郎の三女である。佐藤伝内は伯父にあたる。佐藤雅雄は長兄、佐藤稔は弟である。 尋常小学校卒業後、父勘内につ… 続きを読む
鎌田さくよ
〔人物〕 明治42年1月18日生まれ。父は国分徳治、兄は国分栄七である。白石の工人鎌田文市に嫁ぎ、戦前に夫文市の木地に描彩したこけしが知られている。蒐集家の依頼で、昭和15年頃約50本、その後昭和18年頃までに約50本を… 続きを読む
六郷満
〔人物〕 昭和6年12月11日、宮城県白石市の公務員六郷直、きしの五男に生まれる。満の父、直は、若いころ教師をしていたが、満が出生した昭和6年には営林署の山巡査をしていた。母きしは昭和13年満が7歳の時に病死した。父は再… 続きを読む
本多信夫
〔人物〕 大正7年7月22日、福島県耶麻郡中ノ沢(猪苗代町大字蚕養字沼尻山甲2855)の本多留五郎・サキの長男に生まれる。実家は雑貨商泉屋物産店を営んでいた。昭和9年福島県立付属高等科を卒業後、信夫は喜多方市内で菓子の… 続きを読む
斎藤右内
〔人物〕昭和2年12月1日に天童で生まれる。父は斎藤三代男。刑務署勤務の間に署内作業場で木地の技術を身につけた。定年退職後、天童に戻ったが近所に佐藤文吉がいたので友人付合いをするうちに見取りでこけしを作るようになった。 … 続きを読む
高橋林平
〔人物〕 明治33年4月10日、宮城県刈田郡遠刈田の郵使配達夫高橋卯平の長男として生まれる。大正4、5年ころから佐藤広喜について木地の修業を始めたが、大正7年宮城県の補助金を得て遠刈田の北岡商店で木地講習が行なわれ、広喜… 続きを読む
山本与右衛門
〔人物〕 明治26年岩手県盛岡市に生まれる。家は代々の木地師であったという。その後、一ノ関市に転居し、一ノ関でも木地を挽いた。 山本与右衛門のこけしは橘文策によって〈木形子談叢〉で紹介された。同書によると、橘文策は昭和9… 続きを読む
四竈健康
〔人物〕 大正3年10月18日、宮城県刈田郡小原村湯元23に生まる。桂屋旅館主四竃太郎兵衛・みつゐの長男、昭和8年3月旧制白石中学校を卒業した。日ごろ油絵等の絵心があったので、昭和15年ころに、本田亀寿の木地に描いたもの… 続きを読む
藤戸一栄
〔人物〕 昭和32年2月1日岩手県和賀郡湯田の豆腐店の藤戸三雄、こよ子の長男にに生まれる。 昭和46年中学生のころ、近くにいた小林定雄のこけしつくりに興味を持って、技術を学び、こけしの製作を行った。無心無欲で製作したこけ… 続きを読む