
ににんびきろくろ。轆轤(木工ロクロ、木工旋盤)の一種。手引きロクロともいう。 二人挽きロクロの形態・機構 橘文策〈木地屋のふるさと〉(未来社・昭和38年)「轆轤の変遷」の章に詳しく、ロクロの図を掲げた小文献の一つ〈和漢三… 続きを読む
ににんびきろくろ。轆轤(木工ロクロ、木工旋盤)の一種。手引きロクロともいう。 二人挽きロクロの形態・機構 橘文策〈木地屋のふるさと〉(未来社・昭和38年)「轆轤の変遷」の章に詳しく、ロクロの図を掲げた小文献の一つ〈和漢三… 続きを読む
〔人物〕 昭和2年2月2日、秋田県横堀に生まれる、戸籍表記はサト子。湯沢のこけし作者鈴木幸太郎妻女である。中川徳ニ郎の姉にあたる。夫幸太郎の木地の手伝いをしながら技術を習得、描彩は夫からの見取りであるが、昭和53年頃より… 続きを読む
〔人物〕 昭和28年3月15日、旧秋田県雄勝郡雄勝町の父・沼倉孝造(神職)、毋・昭子長男として生まれる。 昭和46年秋田県立湯沢高等学校卒業後、東京都文京区で8年間会社勤務ののち帰郷、湯沢市内の印刷会社にて写真撮影とグ… 続きを読む
ろくろ。 ロクロの機構 ロクロには陶芸用のものなどもあるが、ここでは木工用のロクロについて説明する。 木工ロクロは、粗い円柱状に成形した用材の片側の底を機械の軸の先についた爪等で固定し、軸(心棒)を回転させることで用材を… 続きを読む
〔人物〕 昭和18年7月21日、秋田県湯沢市川連の佐藤四郎・キヤの次男として生まれる。父四郎は川連の佐藤利吉商店四男で、川連の伝統工芸である漆器業と木地業を経営し、盆、椀、花器、仏具等を販売していた〈大阪こけし教室会報… 続きを読む
〔人物〕 昭和8年6月1日、秋田県川連大館の木地業小椋泰一郎・たかの三男に生まれる。小椋嘉市は長兄、小椋捨次郎は次兄。昭和24年川連中学校を卒業、中学三年生の頃より父泰一郎について木地を学んだ。卒業後約1年ほど家業を手伝… 続きを読む
〔人物〕 大正11年6月20日、鈴木国蔵(父)の一人息子として、秋田県雄勝郡湯沢町(現湯沢市)御囲地(おかち)町に生まれる。 生後間もなく父と共に下新地(現平清水新町)へ映り、昭和13年高等小学校卒業後、父の仕事を手… 続きを読む
〔人物〕 明治30年8月29日秋田県雄勝郡湯沢町御囲地の写真師鈴木勝治の長男に生まれる。木地は17歳より約1年間能代工業講習所で学んだ。講師は野田久之助であった。湯沢の松江謙太郎は弟弟子である。その後、各地を転々として木… 続きを読む
山形県最上郡舟形町長沢の伊藤長一の家に伝わった木地寸法帳の「覚」。 この文書の最初の報告者は東京こけし友の会の会員吉田健次で、〈こけし手帖・56〉(昭和39年)にその発見の経緯と概要が紹介された。そのときに長一から下記の… 続きを読む
明治33年ころから昭和25年ころまで山形県最上郡大蔵村肘折温泉で営業し、土産物、木地製品、玩具、こけし等を扱った商店。昭和4年までは木地工場も経営し、多くのこけし工人がここで働いた、 尾形政治は、慶応元年山形県飽海郡南平… 続きを読む