高橋正吾

高橋正吾(たかはししょうご:1929~)

系統:鳴子系

師匠:高橋武蔵

弟子:

〔人物〕 昭和4年12月20日、宮城県玉造郡鳴子湯元のこけし工人高橋武蔵・きよのの5男に生まれる。高橋武男は長兄。昭和22年3月、宮城県小牛田農林学校(林科)を卒業、4月より父武蔵について木地の修業を開始した。こけしは昭和23年より製作している。
高橋力蔵、伊東東雄は兄弟弟子。美術出版社の〈こけし〉(昭和31年7月刊)でこけし作者として紹介された。
その後、上野々スキー場近くの鳴子町古戸前に家を構えて、しばらくそこから実家の高亀に通って仕事をしていたが、昭和54年より工房を整えて高亀から独立した。
次男宣直は、昭和60年より木地の修行を始めてこけしも作ったが、現在は休業中である。

高橋正吾 平成13年11月 (国府田 恵一撮影)
高橋正吾 平成13年11月 (国府田 恵一撮影)

〔作品〕 初期の作品は、こじんまりした面描ながら、高亀の伝統を継承した端正な作風であった。 昭和40年頃より、緊張感のある鋭角的な表情の作品になった。〈こけし辞典〉に、昭和44年のそうした鋭い表情の作例がある。
古戸前で独立すると、比較的自由に父武蔵の各種古作を研究して発表するようになり、戦前の黄胴(胴の上下のロクロ線の間を黄色く塗る手法)などの再現も行って、古風であるが華やかな作品を作るようになった。
下の写真左端のこけしは、昭和55年1月東京の備後屋で開催された「古作こけしと写し展」の際に製作されたもの、植木昭夫蔵の大正末期高橋武蔵を写した作品である。このこけしを植木昭夫は「こけしの継承についても、自然さを大切にするかにみえる高亀では、古作の写しは、稀有のことだが、正吾の定評ある資質と技量とが、自己の日常の仕事の連続の如くに、まことに自然に、顔かたちは勿論、品位や格までを、写し切ったように思われる。」〈木の花・24〉と書いた。

〔右より 22.5cm(平成4年1月)、26.5cm(昭和55年)こけしの会「古作こけしと写し展」(橋本正明)〕
〔右より 22.5cm(平成4年1月)、26.5cm(昭和54年)こけしの会「古作こけしと写し展」(橋本正明)〕

正吾の本来の型は高橋武蔵からの継承であり、この型を継続的に作っているが、平成に入ってからも時には依頼によって、天江富弥旧蔵の瞳大きく下瞼のある武蔵大正期の復元や、遊佐雄四郎、佐藤乗太郎、佐竹辰吉の復元などを行った。
下掲は遊佐雄四郎を復元したもの。

〔 19.7cm(平成28年8月)(橋本正明)〕
〔 19.7cm(平成28年8月)(橋本正明)〕

高亀の堅牢な伝統の中から時にきらりと光る新感覚が、正吾のこけしを魅力あるものとしている。

系統〕 鳴子系直蔵系列

〔参考〕

高橋正吾こけし工房

高橋正吾こけし工房