〔人物〕 昭和24年3月3日、福島県石川郡平田村に農業、遠藤茂義(えんどう しげよし)、節(せつ)の男5人兄弟の3男として生まれた。 学校卒業後に日東グラスファイバー工業株式会社に就職した。昭和46年に鳴子温泉を訪れた際… 続きを読む
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田中純一郎
群馬県出身の映画史家、映画評論家、編集者。本名は松倉寿一。 著作は多いが、〈日本映画発達史〉全5巻は代表作である。 こけしの収集家、愛好家としても知られており、戦前の昭和16~18年ころに東北の工人を訪ねて、多くの工人写… 続きを読む
芥子人形
江戸時代に流行した小さな人形。芥子はその種が小さいことから極く小さいものという意味で用いられる。 貞享3年(1686)刊の、〈雍州府志〉には、「木彫りの人形に衣装を着せたもの」とあり、当時は京都中心に作られた豆人形を芥子… 続きを読む
深沢省三
日本の洋画家、童画家。岩手県内の美術教育にも尽力した。武井武雄と交流があり、郷玩、こけしにも関心を持ち、自らも蒐集した。 明治32年3月24日 に盛岡市で生まれた。盛岡中学、東京美術学校西洋画科で藤島武二に師事。在学中か… 続きを読む
木賊
木賊(トクサ)は、木工品の最終仕上げのために用いられるシダ植物門トクサ科トクサ属の植物(学名:Equisetum hyemale)。 日本では北海道から本州中部にかけての山間の湿地に自生するが、観賞用などの目的で栽培され… 続きを読む
佐藤常吉
秋田県川連の木地師。明治末期に鳴子に来て秋山忠の木地工場(西条菓子店の辺りにあった)で職人として働いた。この時、この工場で秋山慶一郎も共に木地を挽いたという。 忠の弟子とも言われるが、川連から木地職人を招いて椀木地を挽か… 続きを読む
こけしの用材
こけしの用材としては、東北の山間部で入手しやすいものが選ばれるが、椀や盆、茶器など上物の木地製品に適したものは、もっぱらそうした製品に使われたので、むしろそれ以外のものが選ばれたと思われる。 こけしの用材として最も多くつ… 続きを読む
川口貫一郎
戦前の東京こけし会の創立に関わって〈こけし〉誌(昭和14年6月~昭和19年1月)を編集発刊、戦後は伊勢にて〈こけし〉誌(昭和24年1月~昭和47年7月)を142号まで発刊した。東京こけし会の中心メンバーであり、伊勢こけし… 続きを読む
中ノ沢木地講習会
大正13年6~9月、福島県主催で中ノ沢で開催された木地講習会。講師として遠刈田の佐藤豊治が招聘され、こけしや木地の技術指導をした。磯谷直行、酒井正進、氏家亥一、海谷七三郎、佐藤文六(秋保)、笹川菊之助、岩本芳蔵等も参加し… 続きを読む
がらがら
昭和22年1月より大阪の寺方徹が主宰する鶏畔會が刊行した趣味誌。 B6判、半紙リーフレット。表紙に木版画一葉貼付。謄写版。 鶏畔會の同人は、青山一歩人、浅田新水、小林児朗、瀬川瑠璃園、寺方卅石、中島米荘、山下光華の諸氏。… 続きを読む