田邉香

〔人物〕昭和49年9月15日、埼玉県戸田市の石英ガラス加工職 峰岸忠男の三女に生まれる。平成10年3月北里大学水産学部を卒業後、水産会社の研究室や水質分析の仕事に従事した。平成22年に結婚した。 元々職人の手仕事への憧れ… 続きを読む

玉根四郎

〔人物〕昭和4年3月11日、福島県信夫郡水保村(現在は福島市)に農業、玉根菊蔵、まきの十人兄弟の四男として生まれた。昭和18年3月水保村立水保尋常小学校高等科卒業後、農業に従事した。有料道路会社に勤めていた昭和36年に二… 続きを読む

田山和泉

〔人物〕 昭和56年5月23日、岩手県盛岡市北夕顔瀬町の木工芸製造・木地業田山和文の長女に生まれる。 盛岡工業高校デザイン科に入学、平成10年高校2年より父の木地への絵付けを始め、平成11年高校3年より木地の挽き方を父に… 続きを読む

田山和文

〔人物〕 昭和28年1月8日、岩手県八幡平市(旧西根町大更)の製材技師田山正蔵の4男に生まれる。自家の近くに木地業石井誠朗の妻の姉が居て、同じ町会であったため親しく、中学2年のころから石井のところで仕事をしないかと勧めら… 続きを読む

団子梅

秋田県木地山で前垂れ模様に描かれるのは、家紋などで横見梅と呼ばれる紋様であり、小椋久四郎がこの様式を用いたこけしを作り始めた。 久四郎の長男久太郎は、父の様式を踏襲、初期には父同様の横見梅を描いていたが、昭和12年頃から… 続きを読む

丹野勝次

明治25年熊本県出身。青森工業高校卒業後丹野家へ夫婦養子となる(妻女は青森県出身)。大正12年鳴子の木地講習所の講師として秋田県から転任、大沼新兵衛が助手としてついた。その後鳴子の木地講習所が廃止となり仙台の木地講習所に… 続きを読む

丹野倉治

青根の商店主であり、また木地工場を経営した人物。 明治15年ころから遠刈田新地や箱根から木地製品を仕入れ、これを青根温泉の浴客に商っていた。職人を雇い自らの工場で浴客からの需要が高かった木地製品を生産することを思いたち、… 続きを読む

丹野辰彦

明治37年1月2日、軍人丹野辰治の長男として山形市香澄町に生まれた。大正5年小学校を卒業し、山形の小林倉治方に入門、倉治は大正に入って殆どロクロに向かわず、大正7年に没しているので、実際には長男倉吉の指導を受けた。小林栄… 続きを読む

千田美千雄

〔人物〕明治40年5月28日、千田酉蔵(明治7年2月2日生・昭和36年9月25日90歳没)、サヱ(明治18年6月18日生・昭和41年3月20日85歳没)の7人兄弟(男6人、女1人)の三男として山形県上山市鶴脛410(現在… 続きを読む

千葉友一

〔人物〕昭和36年10月22日に宮城県栗原郡栗駒町の農業千葉茂、トヨ子の3人兄弟の末子として生まれた。父の茂は米作も行っていたが、高い利益率のいちごと大根の収穫に力を入れた。友一は栗駒町立栗駒中学校を昭和52年3月に卒業… 続きを読む