
〔人物〕昭和24年10月24日、宮城県玉造郡鳴子町の遊佐耕三の二女に生まれる。学校を卒業後、10年ほど教員生活を送った。岡崎斉吉の六男博志と結婚、博志は入婿となって遊佐姓になった。 博志は遊佐家でも木地を挽いてこけし作り… 続きを読む
〔人物〕昭和24年10月24日、宮城県玉造郡鳴子町の遊佐耕三の二女に生まれる。学校を卒業後、10年ほど教員生活を送った。岡崎斉吉の六男博志と結婚、博志は入婿となって遊佐姓になった。 博志は遊佐家でも木地を挽いてこけし作り… 続きを読む
〔人物〕 明治22年2月5日、宮城県加美郡大平の遊佐健治・きんの長男に生まる。父健治は岩出山の出身、母きんは文久元年6月21日生まれで、鳴子の塗師高野幸作(幸八の父)の次女である。明治27年6歳のときに父と死… 続きを読む
〔人物〕 昭和33年2月23日、宮城県玉造郡鳴子町の遊佐福寿の長男に生まれる。高校卒業後、昭和51年より父の福寿について木地の修業を始め、昭和60年頃から寿彦名義のこけしも発表するようになった。また、福寿が描彩した福寿名… 続きを読む
〔人物〕昭和38年に生まれた。父の実家の二軒先が、伊藤松一の妻女よし子の実家だった縁で、松一方に入門し、昭和59年から63年まで足掛け5年間、木地の修業を行った。 平成元年に自らのロクロを設置して独立開業した。鳴子ダムに… 続きを読む
〔人物〕昭和28年1月8日、宮城県玉造郡鳴子町の岡崎斉吉の六男に生まれる。岡崎仁治は長兄である。昭和40年に古川工業高校を卒業したが、その在学中より父岡崎斉吉について木地を学んだ。遊佐耕三の娘妙子と結婚し、遊佐家の婿とな… 続きを読む
〔人物〕 昭和5年3月17日宮城県玉造郡鳴子町木地業高橋盛、きくゑの次男に生まる。昭和14年1月一家とともに秋田市に移り、昭和19年3月秋田高等小学校を卒業した。昭和20年7月より父盛について木地を修業、こけしもこのころ… 続きを読む
〔人物〕昭和17年5月17日、宮城県玉造郡鳴子町鳴子の公務員遊佐菊治、時子の三男に生まれる。本名は恭雄。昭和33年鳴子中学校を卒業後、4月より桜井昭二の弟子となり5年間修業した。年季が明けてからは「さくらい」の職人をして… 続きを読む
〔人物〕 明治10年7月5日、宮城県玉造郡鳴子木地業遊佐佐吉(幼名 万左衛門)・とよの二男に生まれる。祖父万四郎は高橋直四郎が亡くなった後、妻久の後夫となり佐吉が生まれた。したがって佐吉は直四郎長男直蔵の義弟に当たる。… 続きを読む
明治30年頃、宮城県鳴子に生まれた。実家は下駄屋マルヨシ。鳴子の木地業高橋万五郎について木地を学んだ。師の万五郎とともに岩手県の花巻、盛岡で働いた。この時、万五郎のところには、伊藤松三郎、小松五平、遊佐平治郎なども働いて… 続きを読む
秋田県雄勝郡雄勝町下院内字湯ノ沢にある温泉。平安時代の”後三年の役”の際、源義家がこの湯に将兵を休ませたとの伝承がある。「傷の名湯」として名高い温泉であった。江戸期には湯宿が営まれていたが、明治元… 続きを読む