〔人物〕昭和38年4月13日生まれ。秋保の山尾広昭に嫁し、義父昭の指導でこけしの描彩を始めた。夫広昭とともにこけしを製作している。 〔作品〕山尾一家の様式に従ってこけしを描彩している。 〔30.9cm(平成… 続きを読む
佐藤誠次
〔人物〕 明治35年5月2日、遠刈田新地の佐藤文治、はるの三男に生まれた。佐藤丑蔵は長兄、三次は次兄であり、佐藤文六は叔父にあたる。大正2年13歳のとき、及位の叔父文六のもとへ行って、雑用を手伝ったが、このときにはまだ木… 続きを読む
沢口悟一
大正から昭和にかけて活躍した鳴子出身の漆工芸研究家。 明治15年3月19日、宮城県玉造郡鳴子に生まれる。父は鳴子漆器改良組合長であった沢口吾左衛門。東京美術学校(現・東京芸術大学)を卒業。東京工業試験所に所員として務めた… 続きを読む
高野幸八
〔人物〕 明治2年10月8日、宮城県玉造郡鳴子村の塗師高野幸作・登(と)よの八男に生まれる。父幸作は旅館業高野四郎作の三男、母とよは高橋万右衛門(現鳴子ホテル)の次女。明治21年4月の沢口吾左衛門文書には高野… 続きを読む
宮島重昭
〔人物〕 昭和4年10月20日、裁判所事務宮島某長男として米沢駅前に生まる。小学校時代より米沢の小林吉太郎に木地挽きを習っていたが、小学校卒業後、米沢航空工場(職長:小林吉太郎)へ入所し本格的に木地を挽くようになった。昭… 続きを読む
大場政彦
〔人物〕昭和15年10月3日、宮城県鬼首上蟹沢の農業大場勇蔵の次男に生まれる。昭和31年7月1日に鳴子温泉の高亀に入門し、高橋武男、正吾兄弟に木地を習う。須貝国男は兄弟子、横山悠久雄 は弟弟子。昭和35年頃より、こけしの… 続きを読む
藤井梅吉
〔人物〕明治31年6月5日、岩手県稗貫郡湯口村鉛の藤井梅蔵、トヨの次男に生まる。明治40年10歳のころ、藤友商店(藤友旅館)の職人をしていた小松留三郎や大沼岩蔵の弟子藤井幸左衛門より木地の挽き方を習った。明治45年鉛の藤… 続きを読む
高野辰治郎
〔人物〕 明治37年6月26日、宮城県白石長袋に生まれる。大正6年と7年に宮城県の助成金を得て佐藤勘内が鎌先温泉で木地講習会を開催した。高野辰治郎はこのときの弟子の一人である。辰治郎のほかに鎌田文市、佐藤雅雄、高梨小藤治… 続きを読む
大沼熊治郎
〔人物〕明治9年9月15日、鳴子大沼善三郎(通称栄五郎)の二男に生まる。父善三郎は大沼駒蔵の長男で弟に栄三郎がいた。父栄五郎は沢口吾左衛門文書の木地挽きの部にその名を見ることができる。熊治郎は父栄五郎より木地技術を習得。… 続きを読む
佐藤伝内
〔人物〕 明治14年5月23日、弥治郎に生まる。農業木地業佐藤栄治・ふよの長男、勘内、五月の兄に当たる。戸籍表記は傳内である。東吉、栄治ゆずりの下屋敷は当時弥治郎一の分限者で、田畑4、5町歩、山林20余町歩、当時1年間の… 続きを読む