岡崎栄蔵

〔人物〕  明治37年、蔵王高湯の岡崎栄治郎二男に生まる。大正元年8歳の時に一家で山形市に転出、大正5年父栄治郎は招かれて単身で北海道に渡ったが、大正6年一家も栄治郎のいた北海道天塩町に渡り、大正13年には父栄治郎に従っ… 続きを読む

三原良吉

宮城県仙台市の出身の郷土史家。 明治30年1月22日、宮城県仙台市に生まれた。上京して早稲田大学に学び、帰郷して大正12年に天江富弥らとともに仙台小芥子会を結成、同人としてまた郷土史家という立場からその活動を支えた。 大… 続きを読む

我妻市助

〔人物〕 大正10年、宮城県柴田郡青根の木炭業我妻市三郎、せよの長男に生まれる。青根の我妻芳夫は実弟にあたる。父市三郎の弟は我妻吉助で、吉助は遠刈田新地の佐藤好秋について木地を修業していた。その縁で昭和12年3月より、好… 続きを読む

佐藤小治郎

明治29年ころ山形市営町1994に生まれた。明治41年に小林倉吉に入門、大正4年11月年期明けした。翌5年2月までお礼奉公、その後五百川鉄工所に入り、織機の巻取りロール挽きをしていた。昭和8、9年、脳溢血で死亡。兄弟子の… 続きを読む

佐藤文六(秋保)

〔人物〕明治32年7月26日、宮城県名取郡秋保村行沢湯元(長袋)で生まる。小学校卒業後秋保村立職工学校に入学し、講師の遊佐幸太郎、佐藤治平について木地挽きの技術を習得した。3年間で卒業後、福島県の柳津へ行き日光木地師赤ン… 続きを読む

佐藤治郎

〔人物〕 大正4年7月13日宮城県刈田郡福岡村の農業、木須春五郎三男として生まれる。尋常小学校卒業後しばらくは実家の手伝いをしていたが現役兵として入隊、除隊後大阪の住友工場で働いた。昭和15年遠刈田新地佐藤円吉三女やいと… 続きを読む

後藤善松

〔人物〕大正5年11月1日、宮城県玉造郡鳴子湯元の後藤徳治、さだよの長男に生まれた。鳴子青年学校を4年で修了後、昭和7年17歳より岡崎斉の弟子となり、6年間木地の指導を受けた。特に兄弟子本間留五郎の指導を受けたという。昭… 続きを読む

大沼勝蔵

天保6年9月4日、鳴子源蔵湯隠居家督大沼三郎治の子として生まれた。長姉ちやに高野屋の又五郎を入家督としたためゆさやの隣に分家した。木地は義兄又五郎より習う。妻まつは秋田県雄勝郡湯沢村尾形伝蔵の長女。長男に勝三郎がいる。 … 続きを読む

早坂利成

〔人物〕 昭和35年7月27日宮城県鳴子町木地業早坂隆・せつ子の長男に生まれる。早坂の家は、高祖父民治(みんじ)、曽祖父早坂繁蔵、祖父民治(たみじ)と代々続く加美郡田代の横木挽き木地師の家柄である。俊成は昭和54年20歳… 続きを読む