〔人物〕 明治34年6月30日、水戸屋旅館山尾今朝三郎五男として秋保町湯元字薬師に生まる。大正5年より佐藤三蔵に弟子入りして同7年まで木地挽きを修業した。師三蔵はこの頃すでにこけしは全然作らなかったため、兄弟子菅原庄七の… 続きを読む
柿澤眞里子
〔人物〕昭和15年9月28日、大阪の印刷業平出友次の長女に生まれる。宮城県玉造郡鳴子町のこけし工人柿澤是隆と結婚した。昭和46年頃より夫是隆について木地挽きの練習を始めた。昭和49年に長男是伸が生まれた。 眞里子名義で自… 続きを読む
内国勧業博覧会
内国勧業博覧会は、国内の産業発展を促進し、魅力ある輸出品目育成を目的として、明治期に東京(上野)で3回、京都、大阪で各1回の計5回を政府主導で開催されている。第6回内国勧業博覧会を東京で開催する計画があったが、日露戦争後… 続きを読む
山谷清
〔人物〕 大正14年5月13日、青森県温湯の木地業山谷権三郎、ハルの長男に生まれる。昭和13年高等小学校卒業後、父権三郎について木地を習得、その頃よりこけしも製作した。戦後は郵便局などに勤めたので、こけしはほとんど作らな… 続きを読む
佐々木末治
秋田県本荘の人。もともとは製菓業であり小林菓子店で働いていたが、戦時中砂糖の入手が困難になったので共に働いていた皆川元一、佐々木久作らと共に秋田の工芸指導所に入所し、鳴子から来た高橋盛の弟子となって木地を学んだ。本荘の由… 続きを読む
乙三洞
大正から昭和初年ころ大阪市南の繁華街難波の楽天地にあった小美術品店。場所を変えて戦後まで店は継続した。 経営者は森田政信。森田が皆におっさんと呼ばれたことから森田乙三洞と名乗り、店名にも乙三洞を用いた。 森田は明治28年… 続きを読む
佐藤早苗
〔人物〕 昭和42年3月31日東京都小金井市の会社員鈴木博の長女に生まれる。旧姓達曽部。 平成21年6月、宮城県蔵王町の「伝統こけし工人後継者育成事業」に応募し、これに採用されて伝統こけしの製作を学んだ。この時採用された… 続きを読む
日下秀行
〔人物〕 昭和52年年12月19日 宮城県白石市に生まれる。学校を出て、しばらく土木・建設業の仕事についた。その後、自分の一生の仕事を求めてサービス業や販売業などに就いたが、納得のいく仕事はなかなか見つからな… 続きを読む
福田良助
〔人物〕 明治32年ころの生まれ(推定)。大正2年15歳ころ横手の浅利製材工場で働いていた大沼熊治郎(鳴子出身・昭和4年没)につき木地を修業。熊治郎は横木専門であったため、玩具やこけしを作らなかった。その後、熊治郎は良助… 続きを読む
工藤忠二
〔人物〕大正11年6月19日、工藤多吉の次男に生まれる。昭和12年16歳の時、鳴子の岡崎斉吉の工場に入って木地を学んだ。当時この工場には本間留五郎や後藤希三がおり、また兄弟子として鎌田次男、佐藤清、大場正男などがいた。斉… 続きを読む