
〔人物〕大正3年7月3日、岩手県盛岡市紺屋町の常川正雄の三男に生まれた。長兄は新太郎、次兄は潤次郎、弟に秀雄、左吉雄がいた。長兄の新太郎より木地を学んだ。昭和11年に遠野の菊池町長の招聘で一家は遠野材木町に移住した。遠野… 続きを読む
〔人物〕大正3年7月3日、岩手県盛岡市紺屋町の常川正雄の三男に生まれた。長兄は新太郎、次兄は潤次郎、弟に秀雄、左吉雄がいた。長兄の新太郎より木地を学んだ。昭和11年に遠野の菊池町長の招聘で一家は遠野材木町に移住した。遠野… 続きを読む
〔人物〕 大正11年6月20日、鈴木国蔵(父)の一人息子として、秋田県雄勝郡湯沢町(現湯沢市)御囲地(おかち)町に生まれる。 生後間もなく父と共に下新地(現平清水新町)へ映り、昭和13年高等小学校卒業後、父の仕事を手… 続きを読む
現在西田記念館に収蔵されている浪江古こけしを発見した人。このこけしは大野雲外から同じ集古会会員の清水晴風を経て林若樹の手をわたり、さらに西田峯吉の所蔵するところとなった。遠刈田の佐藤重松の作と推定されている。 胴底の紙票… 続きを読む
〔人物〕昭和17年2月8日、東京の会社員原野光幸の長男に生まれた。昭和38年より宮城県鳴子の早坂隆に師事して木地を学んだ。昭和58年頃より自分の名義でこけしを発表するようになった。 〔作品〕早坂隆よりの伝承であるが、鳴子… 続きを読む
〔人物〕昭和24年6月9日宮城県玉造郡中山平の林業上野清一の三男に生まれる。昭和38年中学二年生のときこけしクラブに入り、鳴子こけし組合の工人たちの指導を受けた。岡崎斉一は同学年でともにこけしクラブで活動した。昭和39年… 続きを読む
〔人物〕昭和15年8月21日、青森県黒石市二双子字村元の豆腐業奥瀬岩吉、シヨの三男に生まれた。姉初江は盛秀太郎の長男眞一に嫁いでいる。昭和34年4月黒石市高等学校(定時制)卒業。高校時代の昭和31年8月より盛秀太郎につき… 続きを読む
〔人物〕秋田県雄勝郡須川村高松の農業、炭焼き業の宮原政雄、シゲの4人兄弟(男2人・女2人)第二子長男として、昭和19年7月12日に生まれた。須川中学校新田分校を昭和34年3月に卒業した。同級生6人の中に小椋英二がいて親友… 続きを読む
〔人物〕昭和25年3月28日、宮城県白石市の鎌田孝市、うめの長女に生まれた。鎌田孝志は弟。 幼児期より病弱であった。 こけしは昭和44年3月から、父の孝市、母うめの木地に描彩をするようになった。 昭和45年に結婚したが、… 続きを読む
明治31年11月30日、農業佐々木染治長男として銀山温泉に生まれた。大正11年12月と大正13年12月に、区長だった藤屋旅館主人藤要吉の努力で、安藤齢太郎を木地講師とする山形県木地講習会が、林八旅館や、伊豆定雄の家でそれ… 続きを読む
〔人物〕 昭和20年1月29日秋田県雄勝郡皆瀬村川向藤倉の農業阿部一郎の長男に生まれる。 昭和59年3月より叔父の宮原泰治について木地の修業を始めた。初期には鳴子風の一般型を作ったが、ごく一時的である。こけしの描彩は伊藤… 続きを読む