大正博覧会

大正3年3月20日から7月31日まで、東京府が主催し、上野公園(後の上野恩賜公園)を主な会場として開催された博覧会。総裁は閑院宮戴仁親王殿下が務められた。 上野公園地の台地上に設けられた第一会場には既存の博物館、美術館の… 続きを読む

志田八郎

〔人物〕昭和11年1月11日、山形県西村山郡西川町大井沢中村の志田菊麻呂、わかよの六男に生まれた。学校を卒業後、建築業の仕事に就いて、昭和30年5月12日佐藤やえのと結婚した。昭和50年より父の菊麻呂の勧めで足踏み轆轤に… 続きを読む

島津彦蔵

 安政6年ころ島津茂兵衛長男として青森県南津軽郡山形村大字温湯字新道に生まる。島津家は代々温湯の古い木地師で、津軽こけしの探求者木村弦蔵(木村弦三)によれば津軽系の木地師は戦国時代から元禄時代にかけて山形地方から移住した… 続きを読む

宮城県博覧会

明治10年には上野で第1回内国勧業博覧会が開催されたが、前後して各地においても博覧会や共進会が行われていた。明治13年には仙台においても博覧会が開催された。 仙台市史には下記のように紹介されている。 「明治13年8月8日… 続きを読む

第2回内国勧業博覧会

明治10年に開催された第一回内国勧業博覧会に引き続いて、明治14年3月1日から6月30日にわたって上野公園で開催された二回目の内国勧業博覧会。西南戦争の戦費捻出を契機とするインフレーション、幕末開港以来の貿易不均衡による… 続きを読む

佐藤文治

慶応3年5月27日、宮城県刈田郡遠刈田新地の佐藤文吉の長男に生まれた。明治18年1月より、義兄佐藤茂吉について一人挽きを6ヵ月修業した。明治19年弟文平に、明治25年弟文六に一人挽きを伝承した。明治23年に東京上野公園に… 続きを読む

押切忠輔

生年没年は不明。山形県北村山郡市野々(現在の尾花沢市市野々)の生まれ。明治30年代に鳴子の高橋勘治の弟子となり、約3年ほど修業し働いた。こけしの製作も行った。兄弟子に菊地英次郎、菊地三九郎兄弟がいて、菊池兄弟が挽く時には… 続きを読む

大沼宜輔工場

戦後、昭和20年代はじめから昭和30年代終わりまで、鳴子湯元の坂に面して土産物店を開業していた大沼宜輔が経営していた木地工場。湯元の坂を登る左手、現在の鳴子ホテルの通用口の向かい側にある大沼薬局の前身が宜輔の土産物店であ… 続きを読む

盛與助

〔人物〕青森県南津軽郡山形村大字温湯の木地師。盛家は代々木地業に就き、祖父専四郎、父専四郎(専之丞)に継いで與助も木地業に就いた。與助の長男が元吉、元吉の長男が秀太郎である。生没年月日は不詳。 小児エツコ、子供槌など玩具… 続きを読む

菅原富蔵

〔人物〕明治32年(推定)山形県最上郡旧及位に生まれた。13歳のとき、肘折から移ってきた佐藤文六の弟子となり、20歳て年期があけてからも、そのまま文六の家の職人として働いた。大正15年ころに院内には椀工場があって、鳴子か… 続きを読む