〔人物〕大正12年ころ秋田県北秋田郡阿仁町比立内に生まれる。阿仁町はマタギの里としても知られる。15歳の時に骨膜炎にかかり右足が不自由になり、またその翌年には中耳炎によって耳に障害を持つようになった。そこで手に職をつける… 続きを読む
平井盛
〔人物〕明治32年頃、福島県耶麻郡猪苗代町中ノ沢温泉の宮森食堂の主人宮森正の甥に生まれた。戸籍表記は平井栄、過去のこけし文献で平井盛と表記された。読みは「さかえ」が正しいらしい。特に定職にもつかず、宮森食堂で居候として暮… 続きを読む
新山茂
〔人物〕 大正9年、新山久治二男として弥治郎に生まる。久志は兄である。昭和9年福岡尋常高等小学校高等科を卒業。昭和10年16歳で父久治につき木地を修業。昭和14年までこけし、玩具等を作った。昭和15年21歳のときに入営、… 続きを読む
神尾敬三朗
〔人物〕 昭和10年11月27日、山形県天童市久野本の木地業神尾長八長男に生まれる。山形の小林倉治に木地を学んだ神尾長三郎は祖父である。昭和23年より父長八について木地の修業を始めた。そのころ神尾長八は天童久野本の工場で… 続きを読む
小林孝太郎
〔人物〕 昭和11年3月13日、山形県山形市六日町の木地業小林栄蔵の長男として生まれる。小林倉吉は祖父、小林清蔵は伯父、誠太郎、忠次郎は従兄弟にあたる。昭和24年頃中学在学中から父栄蔵の足踏み轆轤に上がって木地の練習を始… 続きを読む
小林栄蔵
〔人物〕明治40年1月20日、山形市旅籠町も木地業小林倉吉五男として山形市旅籠町に生まる。長兄は清蔵。明治44年の山形北の大火によって焼け出され、一家は揃って六日町の新築西通りに移った。大正9年高等小学校に在学中から父倉… 続きを読む
河本紫香
関西の趣味人。浪華趣味道楽宗、娯美会、やつで会などのメンバー。 明治16年3月兵庫の菅原長七の四男彦太郎として生まれた。明治31年に先代の河本正次の養子となり、大正9年に家督を継いで養父の名の正次(まさつぐ)を襲名した。… 続きを読む
今泉潮音
〔人物〕平成7年4月10日生まれ。土湯の今泉源治の孫。祖父源治より木地の手ほどきを受け、さらに四季の里の近野明裕からも半年ほど指導を受けた。粗挽きは師の明裕が行い、それ以降の首入れも含め潮音が行ってこけしを製作した。 た… 続きを読む
荒井雅雄
〔人物〕生年月日出身地など不明。もともと図案等のデザインを手掛けており、山形市香澄町で荒井図案社を経営していた。各種木地製品を製作販売し、大正3年東京上野で開催された大正博覧会の出品者には「山形市香澄町 荒井雅雄」の名が… 続きを読む
東京こけし會こけし展
東京こけし会(戦前昭和14年より19年1月まで活動)は、昭和15年7月27日に鳴子にて参会者50余名を集めて現地大会を開催したが、翌月8月28日より9月1日まで東京の白木屋にてこけし展を開催した。こけし展の企画運営は、こ… 続きを読む