坪井正五郎

東京において、明治から大正にかけて古物、故実、風俗、玩具の蒐集、調査、鑑賞に関わる活動を組織化した人物。「竹馬会」「集古会」「大供会」「流行会」など人形、玩具に関わるかかわる多様な活動に関わった。交際が広く、これらの重層… 続きを読む

高梨栄五郎

〔人物〕明治6年6月9日、宮城県刈田郡八宮弥治郎の木地師高梨栄三郎(戸籍表記 榮三郎)、やのの長男に生まる。父高梨栄三郎(嘉永3年11月5日生)は新山栄吉二男、母やの(安政2年5月28日生)は新山久蔵長女、夫婦で高梨由松… 続きを読む

鹿島秀悦

〔人物〕昭和16年2月15日生まれ。昭和50年より鳴子の大沼健三郎、健伍父子に師事して木地を修得した。実質的な指導は健伍が行った。そのころよりこけし製作を始め、その後鳴子町名生定滝岸で独立した。 令和2年1月15日没、行… 続きを読む

小沢一蛙

明治から昭和にかけての趣味人。特に蛙に関わるものの蒐集を行った。趣味人たちとの交流も多く、こけし蒐集家との接点も多い。 明治9年、東京日本橋に生まれた。本名は小澤幸太郎。内閣印刷局(造幣局第一証券課)に勤め、趣味の蛙の蒐… 続きを読む

木形子綺譚

佐藤利雄稿の「木形子綺譚」は昭和12年7月8日の新聞東京朝日に掲載された。 深沢要の〈こけしの微笑〉に「『朝日新聞にこけしの記事がのっていたのを御読みになりましたか』と何度か人に尋ねられたことがあった。読んでいないのを残… 続きを読む

佐藤文六(秋保)

〔人物〕明治32年7月26日、宮城県名取郡秋保村行沢湯元(長袋)で生まる。小学校卒業後秋保村立職工学校に入学し、講師の遊佐幸太郎、佐藤治平について木地挽きの技術を習得した。3年間で卒業後、福島県の柳津へ行き日光木地師赤ン… 続きを読む

秋保村立職工学校

宮城県名取郡秋保村に明治43年から大正9年まで開校されていた村立の職工学校。指導職種は塗り以外は木地が中心であったため、俗に秋保村立木地学校とも言っていた。 役場の明治44年記事に設立事情に関する記述がある。 「一、職工… 続きを読む

佐藤子之助

〔人物〕明治24年ころ宮城県柴田郡前川村(青根)の木地師佐藤久吉・りんの次男に生まれた。長兄は久助、弟に久蔵がいる。父久吉について木地を修業、こけしも作ったといわれる。明治45年ころ秋保へ行って佐藤三蔵の職人となった。子… 続きを読む

小関栄

明治40年5月6日、土産物商小関栄吉の長男として尾花沢市銀山で生まれた。 大正11年12月と、大正13年12月の二回、銀山で安藤齢太郎を講師として木地講習会が開かれた記録がある。会場は第一回が鶴利平宅、第二回が伊豆定雄宅… 続きを読む

太田庄吉

〔人物〕明治8年12月7日、宮城県名取郡秋保の大工太田庄之助、つやの長男に生まれた。庄之助の家は代々農家であったが庄之助の代に大工になった。庄之助は大工の傍ら、雑貨店も経営し、駄菓子などのほかに仕入れた木地物なども売って… 続きを読む