
〔人物〕昭和11年9月7日、宮城県柴田郡川崎町青根の土産物、挽物業の佐藤貢の長男に生まれた。 昭和30年より父貢につき木地挽きを修業、このころより旧型こけしを製作。昭和32年、遠刈田中学校卒業後も継続して木地を挽いていた… 続きを読む
〔人物〕昭和11年9月7日、宮城県柴田郡川崎町青根の土産物、挽物業の佐藤貢の長男に生まれた。 昭和30年より父貢につき木地挽きを修業、このころより旧型こけしを製作。昭和32年、遠刈田中学校卒業後も継続して木地を挽いていた… 続きを読む
〔人物〕 明治18年9月23日、福島県信夫郡土湯村字下ノ町19番地(現在の土湯温泉町)の木地業阿部熊治郎、コヨの長男に生まれる。タツ、キク、サツ、タヨの姉があり治助は第5子にあたる。弟に平治、新次郎がいたが… 続きを読む
〔人物〕 明治36年10月6日 山形県最上郡最上町向町の農業佐藤好治郎・コンの四男に生まれる。大正5年3月東小国小学校を卒業後、鳴子の高橋武蔵について木地の修業を行った。年期があけた後も、高亀で長く職人として働いた。佐藤… 続きを読む
〔人物〕 昭和26年3月26日、山形市円応寺新道の木地業小林清次郎、はつえの長男に生まれる。祖父は小林吉三郎であり、姉に敏子がいる。昭和51年26歳より父の清次郎について木地を習得した。昭和54年に一家は市内檜町に工場と… 続きを読む
〔人物〕慶応元年4月10日、宮城県刈田郡八宮村九番地(現在の弥治郎)農業毛利丈助、はるの四男に生まれた(母の名をタケとする説もある)。長兄三治、さらに慶吉、重五郎の兄がいた。明治9年父の丈助が亡くなり、長兄三治が家督を継… 続きを読む
〔人物〕昭和6年3月11日、福島県土湯温泉町下ノ町のアサヒ写真館佐藤兵七、サ生(さい)の長男に生まれた。祖父は佐藤嘉吉。学業終了後福島市内の写真館に弟子入りし、3年間住み込みで技術を習得した。その後、土湯の実家の写真業を… 続きを読む
宮城県仙台市の出身の郷土史家。 明治30年1月22日、宮城県仙台市に生まれた。上京して早稲田大学に学び、帰郷して大正12年に天江富弥らとともに仙台小芥子会を結成、同人としてまた郷土史家という立場からその活動を支えた。 大… 続きを読む
〔人物〕昭和6年9月3日、福島県飯坂町平野字原田の農業篠木貞一・トラの二男に生まれる。昭和21年平野小学校高等科卒業、その後信夫高湯温泉で食堂を経営していたが、昭和43年4月より7月まで、土湯の佐藤佐志馬について木地を修… 続きを読む
〔人物〕 明治37年9月6日、川渡の結城正蔵の長女として生まれる。 昭和3年、鳴子の大沼竹雄と結婚、以後竹雄や義弟正雄の木地に描彩、合作もあるという〈こけし辞典〉。 なお、正雄は描彩は行わず、みつをは木地を挽かなかった。… 続きを読む
〔人物〕 明治45年2月16日秋田県川連村大館の木地師小椋米吉・ツメヨの次男に生まれる。長兄に勝雄がいる。〈こけし辞典〉では2月26日生まれとなっているが誤りである。大正4年米吉一家は北海道枝幸群原野に移住、大正7年に旭… 続きを読む