
〔人物〕明治33年2月2日、福島県信夫郡土湯村下ノ町28の木地業佐久間粂松、コトの長男に生まれた。幼児のころ福島県相馬郡小高町に家族と共に移り、明治40年8歳のとき一家は川俣日和田五に転居した。大正2年小学校卒業後父につ… 続きを読む
〔人物〕明治33年2月2日、福島県信夫郡土湯村下ノ町28の木地業佐久間粂松、コトの長男に生まれた。幼児のころ福島県相馬郡小高町に家族と共に移り、明治40年8歳のとき一家は川俣日和田五に転居した。大正2年小学校卒業後父につ… 続きを読む
〔人物〕大正11年に雄勝郡稲川町大館中野に生れた。木地山の小椋久太郎の妻ミヨの弟、また久太郎の母方の従弟にもあたる。秋田県川連の蒔絵師。兄に古関六平がおり、六平は岩手県工業指導所に行って、のちに漆工芸家として有名になった… 続きを読む
〔人物〕 昭和10年8月14日、秋田県雄勝郡東成瀬村椿川の学校教員本間嶋蔵・リヨの三男に生まれる。生家が山林を持っていたので小学校のころより木地細工を好み、木彫りの熊や家具類を製作していた。子供のころから手… 続きを読む
〔人物〕昭和54年6月20日、青森県弘前市の牧師石川敞一、康子の次女に生まれる。三姉妹の真ん中である。子供の頃より工作等、物作りが好きであった。学校卒業後、東京に就職し働いていたが平成23年夏、「こけし時代」(創刊号)の… 続きを読む
宮城県遠刈田で修業した木地職人。所謂こけし作者ではない。 明治37年12月19日、高橋勇助、はるの二男として、宮城県柴田郡大河原町字福田に生まれた。明治42年、6歳のとき白石町に移り、白石第一小学校を卒業後、大正7年、1… 続きを読む
〔人物〕秋田県仙北郡西木村檜木内の木地師。儀右衛門は屋号で代々家督がこの名で呼ばれる。初代儀右衛門は八太郎といい、天保年間の生まれ、加賀出身と言う。安政三年頃より檜木内に移り、木地業に従事し、南部系のキナキナを作った。初… 続きを読む
〔人物〕 明治29年6月2日、宮城県玉造郡岩出山町森谷平治、ともの二女に生まれた。大正5年鳴子町湯元の高橋盛と結婚、盛雄、まつを、たきゑ、福寿らの子供をもうけた。夫盛のこけしの描彩を手伝った。大正12年に一家は鳴子町新屋… 続きを読む
〔人物〕昭和8年9月11日、山形県米沢市のこけし工人高崎栄一郎の長男に生まれた。昭和24年米沢第一中学校を卒業し、直ちに父の栄一郎について木地を学んだ。その後一年間は夜間高校に通った。昭和32年佐藤芳美の次女美和子と結婚… 続きを読む
〔人物〕 明治35年10月11日、斎藤松治、フクの二男として蔵王高温温泉に生まる。小学校在学当時よりロクロに親しみ、大正2年蔵王第三尋常小学校卒業後正式に父松治につき木地修業、こけしを盛んに作った。兄弟弟子に斎藤源吉、… 続きを読む
〔人物〕 昭和32年2月1日岩手県和賀郡湯田の豆腐店の藤戸三雄、こよ子の長男にに生まれる。 昭和46年中学生のころ、近くにいた小林定雄のこけしつくりに興味を持って、技術を学び、こけしの製作を行った。無心無欲で製作したこけ… 続きを読む