タグ別アーカイブ: 内国勧業博覧会

佐藤太左衛門

〈陸奥乃小芥子〉の弘前の解説部分に次のような趣旨の記述がある。 津軽の木地業は古く藩政時代にさかのぼり、温湯には8軒の木地屋が居たといわれる。佐藤家はその一つで代々太左衛門を名乗り、6代前の祖が嶋津の祖について木地を学ん… 続きを読む

佐藤七蔵

こけしの作者佐藤文助の祖父。 嘉永6年8月21日、宮城県刈田郡宮村遠刈田新地の木地業佐藤亥之松の五男に生まれた。父亥之松や祖父七右衛門について木地の技術を学んだ。佐藤友晴著の〈蔵王東麓の木地業とこけし〉によると、明治5年… 続きを読む

高橋利兵衛

高橋利兵衛家は秋田県川連で代々漆器の製造販売、染屋、蚕糸の製造業、酒屋、木綿商を営んだ豪商。取引先は、備中(岡山)、京都、大坂、江戸から松前(北海道)にまで及んでいた。 また、藩主の許可を受けて天保元年(1830年)より… 続きを読む

沢田九郎兵衛

生年月日、経歴等は不明であるが、沢田家は、間宮、村井、油川、田中等の諸家と共に大鰐の古い 居木地師である。木村弦三は〈木形子異報・6〉で明治20年の沢田九郎兵衛の挽物値段控帳について下記のように紹介している。 「今は死ん… 続きを読む

青海源兵衛

初代源兵衛は江戸時代中期の若狭出身の塗師(ぬし)、本名は池田源兵衛、津軽四代藩主の津軽信政にまねかれて弘前に移った。 源兵衛は藩主の命で江戸にのぼり、塗師の青海太郎左衛門に入門してさらに技術を磨こうとしたが、翌年江戸で客… 続きを読む

内国勧業博覧会

内国勧業博覧会は、国内の産業発展を促進し、魅力ある輸出品目育成を目的として、明治期に東京(上野)で3回、京都、大阪で各1回の計5回を政府主導で開催されている。第6回内国勧業博覧会を東京で開催する計画があったが、日露戦争後… 続きを読む

大正博覧会

大正3年3月20日から7月31日まで、東京府が主催し、上野公園(後の上野恩賜公園)を主な会場として開催された博覧会。総裁は閑院宮戴仁親王殿下が務められた。 上野公園地の台地上に設けられた第一会場には既存の博物館、美術館の… 続きを読む

島津彦蔵

 安政6年ころ島津茂兵衛長男として青森県南津軽郡山形村大字温湯字新道に生まる。島津家は代々温湯の古い木地師で、津軽こけしの探求者木村弦蔵(木村弦三)によれば津軽系の木地師は戦国時代から元禄時代にかけて山形地方から移住した… 続きを読む

第2回内国勧業博覧会

明治10年に開催された第一回内国勧業博覧会に引き続いて、明治14年3月1日から6月30日にわたって上野公園で開催された二回目の内国勧業博覧会。西南戦争の戦費捻出を契機とするインフレーション、幕末開港以来の貿易不均衡による… 続きを読む

阿部與五平

天保4年4月20日、福島県信夫郡土湯村今泉兵蔵二男に生まれた。扇屋の阿部與五平二女カツと結婚し、義父與五平の退隠後、與五平を襲名した。扇屋は代々当主が與五平の名を継いだという。長男仙太郎はじめ四男三女が生まれた。 明治1… 続きを読む