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第2回内国勧業博覧会

明治10年に開催された第一回内国勧業博覧会に引き続いて、明治14年3月1日から6月30日にわたって上野公園で開催された二回目の内国勧業博覧会。西南戦争の戦費捻出を契機とするインフレーション、幕末開港以来の貿易不均衡による… 続きを読む

佐藤文治

慶応3年5月27日、宮城県刈田郡遠刈田新地の佐藤文吉の長男に生まれた。明治18年1月より、義兄佐藤茂吉について一人挽きを6ヵ月修業した。明治19年弟文平に、明治25年弟文六に一人挽きを伝承した。明治23年に東京上野公園に… 続きを読む

盛與助

〔人物〕青森県南津軽郡山形村大字温湯の木地師。盛家は代々木地業に就き、祖父専四郎、父専四郎(専之丞)に継いで與助も木地業に就いた。與助の長男が元吉、元吉の長男が秀太郎である。生没年月日は不詳。 小児エツコ、子供槌など玩具… 続きを読む

菅原富蔵

〔人物〕明治32年(推定)山形県最上郡旧及位に生まれた。13歳のとき、肘折から移ってきた佐藤文六の弟子となり、20歳て年期があけてからも、そのまま文六の家の職人として働いた。大正15年ころに院内には椀工場があって、鳴子か… 続きを読む

佐久間亀五郎

江戸中期土湯に生まれた。木地業佐久間作兵衛(三代)の長男。家号は稲荷屋。稲荷屋は祖先の作兵衛の時代に二本松往復時、狐に助けられたのにちなみ命名したという。亀五郎は、化政当時会津藩と二本松藩を結ぶ交通の要地として、また湯治… 続きを読む

仕送り制度

遠刈田において、木地職人と木地物販売業者(木地商)との間で取り行なわれた制度。 あらかじめ木地物の工賃を定めておき、木地商は職人たちに木地材料や木地用資材、動力等を提供し工賃制で生産させ、その代償として仕送り通帳を介して… 続きを読む

こけしのアルケオロジー

「アルケオロジー(archéologie)」とは本来「考古学」を意味するフランス語。ただフランスの哲学者ミシェル・フーコーが「知の考古学」などで「アルケオロジー」という言葉を使いだしてから、すこし特別の使われ方をするよう… 続きを読む

あやめ模様

佐藤英太郎の直助型 背面のあやめ模様 あやめ模様と称する描彩は、遠刈田系こけしの胴裏に描かれるのが最もポピュラーであるが、弥治郎、土湯(飯坂、川俣)、鳴子、津軽においても描かれることがある。 こけしに描かれた模様だけから… 続きを読む

間宮孫次郎

青森県大鰐の木地師。生没年月日不明。孫次郎の長男が忠太郎、忠太郎の長男が明太郎である。 孫次郎は明治23年に東京上野公園において開催された第3回内国勧業博覧会へ、茶碗入、煙草入、箸立などの木地製品を出品している。 〔参考… 続きを読む

岡崎代助

安政2年5月14日、羽前国南村山郡高湯村(現在の蔵王温泉)堀清八の二男に生まる。明治22年高湯の岡崎吉右衛門の長女つゆと結婚して婿養子となり家督を継承した。明治37年3月高湯中村屋の出身で養父吉右衛門の姪にあたるそでを養… 続きを読む