〔人物〕大正15年7月15日、会社員太田清八の二男に生まれる。昭和61年4月61歳のとき土湯の渡邊和夫に就いて木地修業を始めた。平成2年よりこけしの製作を開始した。福島県いわき市常磐湯本に住んだ。令和4年7月29日に逝去… 続きを読む
〔人物〕大正15年7月15日、会社員太田清八の二男に生まれる。昭和61年4月61歳のとき土湯の渡邊和夫に就いて木地修業を始めた。平成2年よりこけしの製作を開始した。福島県いわき市常磐湯本に住んだ。令和4年7月29日に逝去… 続きを読む
〔人物〕大正7年5月4日生まれ。宮城県刈田郡蔵王町遠刈田の作田栄利に師事して木地の技術を習得した。独立後は新型木地や玩具類を主に挽いていたが、昭和30年代頃から時に遠刈田の伝統的なこけしも作るようになった。こけしの製作数… 続きを読む
明治38年5月2日、山形県飽海郡南平田村(現平田町)山谷に生まれる。同郷の尾形政治のつてで、19歳のとき肘折の最上木工場へ入った。遠刈田から来ていた佐藤三治の弟子となり、木地を習った。昭和3年、最上木工場の将来に見切りを… 続きを読む
明治 42年に集古会の会員の中で、清水晴風、林若樹、久留島武彦、坪井正五郎、西澤仙湖など特に人形玩具を愛好するメンバーによって 結成された集まり。 人形玩具に関する知識の交換を目的とした小さな会で、会合も会員の自邸の持ち… 続きを読む
大沼岩太郎の婿養子。 文久元年2月25日、岩出山の渋谷平吉の弟に生まれた。鳴子の大沼岩太郎について木地の修業を行った。明治20年に岩太郎の長女せいと結婚して婿となり、大沼姓となった。描彩は不得手であり、浅吉の挽いた針箱、… 続きを読む
〔人物〕 明治9年2月10日(旧暦明治 9年1月16日)、宮城県玉造郡鳴子町湯元の木地業大沼甚三郎・ときの長男として生まれる(一説に明治8年生まれともいうが戸籍上は明治9年である)。父甚三郎は大沼家の甚五郎次… 続きを読む
〔人物〕天保12年3月23日、鳴子大沼甚五郎、登免(とめ)の長男に生まる。母とめは、通称とめのといい大沼弥治右衛門(戸籍名・弥左衛門。大沼又五郎妻女ちやの祖父)の三女である。したがって大沼又五郎とは義理の従兄弟にあたり、… 続きを読む
弘化4年7月6日、宮城県鳴子の大沼駒蔵の長男に生まる。戸籍名善三郎。塗師栄三郎は弟。木地は横谷善作について学んだという。沢口吾左衛門文書木地挽ノ部に記載されている。長男は熊太郎(明治5年7月14日生。木地師のほか、飲食… 続きを読む
慶応元年6月10日、鳴子大沼勝蔵の長男に生まる。木地は父勝蔵について学んだ。明治22年ころより3年間一家を挙げて瀬見に渡り、瀬見橋の畔で木地屋を開業した。その後、鳴子へ帰り旅館ゆさやの隣で木地を開業したが、明治30年代に… 続きを読む
天保6年9月4日、鳴子源蔵湯隠居家督大沼三郎治の子として生まれた。長姉ちやに高野屋の又五郎を入家督としたためゆさやの隣に分家した。木地は義兄又五郎より習う。妻まつは秋田県雄勝郡湯沢村尾形伝蔵の長女。長男に勝三郎がいる。 … 続きを読む