〔人物〕 昭和5年10月13日宮城県刈田郡福岡村八宮弥治郎の農業新山松治、まつよの三男に生まれた。母まつよは新山栄五郎の五女。 新山久志のすすめがあり、昭和46年4月より久志について木地を学んだ。農業や山仕事の傍らこけし… 続きを読む
伊藤政治
〔人物〕 安政6年11月14日、秋田県雄勝郡皆瀬村に生まる。農業伊藤多郎兵衛の二男。明治21年30歳で川連村の井上栄治の長女キサと結婚。連れ子の儀一郎とキヱを養子とした。その後、兵太郎、ミヱ、リヨ、リヱ、常治、永太郎の三… 続きを読む
舟生門蔵
明治31年(推定)山形県最上郡真室川町及位に生まれた。家は農業。明治45年より大正8年頃まで及位駅前の佐藤文六の弟子となり木地を修業した。そして文六が佐藤盛昭から引き継いだ及位木工場で働いた。 大正8年ごろの及位駅前佐藤… 続きを読む
安保一
〔人物〕岩手県盛岡市の木地業安保一郎の長男。生年月日等詳細は不明。安保家は古い木地師の家系であるが、安保一自身は木地の技術を継承しなかった。建設省等へ勤務していた。 父の安保一郎が昭和36年に亡くなって以後、「安保のキナ… 続きを読む
小沢孝雄
〔人物〕 昭和12年12月25日、鳴子町名生定字月山農業小沢武雄、ちゑの四男に生まれる。昭和28年3月鳴子中学を卒業、同年7月より鳴子駅前の大沼純の工場に入り、純より木地およびこけしを習った。兄弟弟子に山口吉夫… 続きを読む
佐藤良二
〔人物〕 昭和13年10月1日佐藤伝の長男として、弟子屈温泉にうまれる。父伝は、戦後長くこけし作りから離れていたが、高松の秋田亮の勧めにより、昭和32年秋より再開して蒐集家からの注文に応じるようになった。良二… 続きを読む
星定良
〔人物〕昭和31年1月8日、岩手県宮古市白浜の木地業星博の次男に生まれる。父の博は山木地に近い仕事に従事していたので、兄の博秋について木地を学んだ。博秋は独学で木地を学んだが、宮城県に移り、小原の本田亀寿の指導を受けてい… 続きを読む
高橋次郎
〔人物〕大正13年4月24日生まれ。山形県南陽市のこけし人形作者。本来は新型の工人であるが、時に一見伝統風のこけしを作ったので、中古品市場などでは伝統こけしとして扱われる場合もある、 〈こけし辞典〉にも項目があリ、執筆者… 続きを読む
高橋徳左衛門
こけし作者高橋兵治郎の父で、秋田県川連で塗下木地を挽いていた工人。 高橋徳左衛門は代々徳左衛門で、兵治郎の父も先代徳左衛門(幼名宇一郎)の長男として、安政2年3月11日に川連村で生まれた。木地は初代である。 徳左衛門の師… 続きを読む
荒屋敷松蔵
秋田県木地山で二人挽き轆轤で木地を挽いた小椋久四郎のロクロの綱とりを務めた人。 昭和7年9月橘文策が木地山を訪れたとき、綱とりをしていた荒屋敷松蔵に会い、木地を挽く久四郎と綱を取る盲目の松蔵の写真を撮った。〈木形子談叢〉… 続きを読む