東郷ハガネ

木地屋が用いる鉋には、国産の通常のハガネが使われていたが、日清戦争のあと頃から輸入の洋鋼が使われるようになった。 鳴子の高野幸八は、鉋の切れに自信があったようで「板丸兼ねての名人」という看板を掲げていたが、鳴子でいち早く… 続きを読む

石山陽子

〔人物]昭和12年11月25日、木地業石山三四郎、きくの二女として山形市山寺芦沢1810番地に生まれる。女性三人男性二人の五人兄弟の二番目である。和夫は叔父にあたる。四番目の弟健一も少量こけしを製作したことがあるが、令和… 続きを読む

本田英司

〔人物〕昭和46年6月4日、青森県弘前市の木地師本田功、奎子の長男として生まれる。生粋の弘前っ子で、妹がいる。平成4年に体調を崩し弘前大学人文学部(現在は人文社会科学学部)経済学科を3年生で休学した。その後サラリーマン生… 続きを読む

高梨栄治

〔人物]明治33年11月27日、宮城県弥治郎の木地業高梨栄十郎・むきのの長男として生まれた。栄十郎(通称寅五郎)は明治35年むきのと離別し、後妻すてを迎えた。しかし、栄十郎およびその兄高梨栄五郎は大正5年に弥治郎で流行っ… 続きを読む

高橋仁

〔人物〕昭和10年7月10日、山形県上山に生まれた。学業終了後、明治乳業に就職し、上山、天童の工場に勤務した。昭和41年結婚を機に、自ら技術を身に着けることを決意し、昭和42年末より翌5月までの期間に、鳴子の早坂隆につい… 続きを読む

遊佐博章

〔人物〕昭和38年に生まれた。父の実家の二軒先が、伊藤松一の妻女よし子の実家だった縁で、松一方に入門し、昭和59年から63年まで足掛け5年間、木地の修業を行った。 平成元年に自らのロクロを設置して独立開業した。鳴子ダムに… 続きを読む

五十嵐友里

〔人物〕 昭和56年5月30日に井上四男(よつお)、令子の二人兄弟の長女として、湯沢市三梨村下宿に生まれた。祖父母の周治、ミヨとは同居して育った。平成11年3月に秋田県立湯沢北高等学校を卒業後(閉校・統合で現在は秋田県立… 続きを読む

小椋吉左衛門

小椋五郎左衛門の子。戸籍表記吉左エ門。信州で生まれた。文政元年、父五郎左衛門とともに宮城県加美郡中新田門沢山に移り、さらにニ、三年後には秋田県雄勝郡大川目山(木地山の北北東約7km)に渡り、初右衛門系と合流した。ここで文… 続きを読む

山田儀右衛門

〔人物〕秋田県仙北郡西木村檜木内の木地師。儀右衛門は屋号で代々家督がこの名で呼ばれる。初代儀右衛門は八太郎といい、天保年間の生まれ、加賀出身と言う。安政三年頃より檜木内に移り、木地業に従事し、南部系のキナキナを作った。初… 続きを読む

田島木工伝習所

大正8年7月より10月まで、福島県南会津郡田島町(現在の南会津町)に県と町の共設の木工伝習所として開設され、遠刈田より佐藤豊治、佐藤円吉らが木地の部門の講師となって技術の指導を行った。木地部門の弟子は6名ほどと言われてお… 続きを読む