板祐生

本名 板愈良(いたまさよし)、板祐生(いたゆうせい)と号し、昭和10年3月に弘前の木村弦三が〈陸奥の小芥子〉を発刊したときにそのこけしの表紙絵、挿絵を孔版画で作成した。表紙は佐藤伊太郎大小二本の、扉絵は川越謙作、図版三枚… 続きを読む

菅原敬治郎

生年月日、出身地など不明。大正6、7年の北岡木地講習会の養成工であった。養成期間の後、4、5年間北岡木工所で木地を挽き、玩具などを作ったが、こけしについては不明。その後、刈田郡鬼石原(通称清水原)で農業の傍ら山仕事をして… 続きを読む

名古屋こけし会(戦前)

『名古屋こけし会』(戦前)は昭和14年11月に発足、昭和19年7月頃まで活動した中京地区のこけし会。幹事は 三島銘二、山下光華、浅野一恕の3名、事務局は、名古屋市中区小林町56 浅野一恕方。なお、名古屋こけし会発足の一ヶ… 続きを読む

三原良吉

宮城県仙台市の出身の郷土史家。 明治30年1月22日、宮城県仙台市に生まれた。上京して早稲田大学に学び、帰郷して大正12年に天江富弥らとともに仙台小芥子会を結成、同人としてまた郷土史家という立場からその活動を支えた。 大… 続きを読む

熊耳耕年

明治2年3月24日、仙台芭蕉ノ辻にあった老舗の仕立業大澤屋の次男として生まれた。姓の読みは「くまがみ」、本名は源助。実家の大澤屋は時流に合わず没落しはじめ、源助は10歳ころから奉公に出ることになった。明治15年14歳の時… 続きを読む

清水晴風

明治期から大正初期にかけて通称「玩具博士」と呼ばれた代表的な玩具研究家。 玩具趣味を最初に紹介した玩具画集〈うなゐの友〉の著者として知られ、その後の多くの郷土玩具愛好家たちおよびその収集趣味運動に大きな影響を与えた。〈う… 続きを読む

やつで会

昭和4年に関西で発足した郷土玩具愛好家の集まり。 会員は西田清次郎(静波・亀楽洞)、村松茂(百兎庵)、梅谷秀文(紫翠)、鹽山可圭、粕井信一(豊誠)、中西康雄(竹山)、芳本倉太郎(蔵多楼)、青山冬樹(一歩人)、河本正次(紫… 続きを読む

鳴子木地講習所

正式の名称は「宮城県立工業講習所」といった。 大正11年4月に鳴子小学校に隣接して開所し、昭和2年に仙台工業学校(後の仙台工業高等学校)に吸収された。鳴子における活動は約3年間であったが鳴子の産業振興には多大な効果があっ… 続きを読む

上田康友

〔人物〕上田由美枝の三人兄弟の三男として昭和62年4月7日広島県府中市に生まれる。 その後大阪市に転居し、2才から24才まで平野区で育った。平成20年3月20才でギター製作の専門学校を卒業した。在籍中はエレキギターとエレ… 続きを読む

高橋勘七

深沢要著〈こけしの追求〉に鳴子高野幸八の弟子として紹介された。伊藤松三郎談によると「山形方面の人で明治37、8年ころ高野幸八の弟子になったが、わずかの期間でやめた」という。こけし作者であったかどうかは不明である。