大沼要

鳴子のこけし工人大沼新兵衛は通称を要という。新兵衛の長兄は戸籍名を要、通称を誠という。兄の方の要(誠)は大沼平三郎、そめの長男で、明治13年1月25日鳴子に生まれた。大沼岩太郎について木地を修業した。昭和9年12月26日… 続きを読む

芥子人形

江戸時代に流行した小さな人形。芥子はその種が小さいことから極く小さいものという意味で用いられる。 貞享3年(1686)刊の、〈雍州府志〉には、「木彫りの人形に衣装を着せたもの」とあり、当時は京都中心に作られた豆人形を芥子… 続きを読む

盛眞一

〔人物〕大正10年3月18日、青森県温湯温泉の木地業盛秀太郎、スナの次男に生まれた。長男は生後すぐになくなったので、実質的に長男として扱われた。弟と女姉妹二人がいた。尋常小学校の頃から成績優秀で旧制中学に進学、商業を学ん… 続きを読む

簗川岩視

〔人物〕明治44年頃、山形県南置賜郡南原村の村長簗川岩男四男として南原笹野(現在米沢市)に生まれた。岩視は昭和の初めに芳泉の堀実のところへ遊びに行っているうちに趣味で木地挽きを始めた。その後、工場に雇われてボビンと機業関… 続きを読む

深沢省三

日本の洋画家、童画家。岩手県内の美術教育にも尽力した。武井武雄と交流があり、郷玩、こけしにも関心を持ち、自らも蒐集した。 明治32年3月24日 に盛岡市で生まれた。盛岡中学、東京美術学校西洋画科で藤島武二に師事。在学中か… 続きを読む

盛諒祐

〔人物〕 平成4年7月4日、こけし工人盛美津雄、綾子の二人兄弟の次男として、青森県黒石市温湯に生まれる。7歳年長の長兄がいる。小学校4年生の時に祖父眞一と一緒にズグリを作った事が轆轤との最初の出会いとなった。祖父の思いを… 続きを読む

木賊

木賊(トクサ)は、木工品の最終仕上げのために用いられるシダ植物門トクサ科トクサ属の植物(学名:Equisetum hyemale)。 日本では北海道から本州中部にかけての山間の湿地に自生するが、観賞用などの目的で栽培され… 続きを読む

佐藤常吉

秋田県川連の木地師。明治末期に鳴子に来て秋山忠の木地工場(西条菓子店の辺りにあった)で職人として働いた。この時、この工場で秋山慶一郎も共に木地を挽いたという。 忠の弟子とも言われるが、川連から木地職人を招いて椀木地を挽か… 続きを読む

斎藤斉

〔人物〕昭和6年3月22日に生まれた。昭和46年頃に花巻の佐藤一夫について木地を学んだ。佐藤一夫は伊藤松三郎の弟子であった佐藤末吉の長男で、松三郎風のこけしや、キナキナを作った。 また昭和50年頃には佐藤長雄の指導も受け… 続きを読む

佐々木マツエ

〔人物〕昭和10年2月10日に生まれた。岩手県横川目の佐々木覚平に嫁いだ。覚平に習って木地も描彩も行うようになった。製作は主に覚平が病等で仕事のできないときで、完成した作品は基本的に全て覚平名義で出していた。ただ、平成5… 続きを読む