斎藤良輔

〔人物〕 大正14年6月12日、福島県会津若松市栄町の商業斎藤栄作六男として生まれる。昭和15年尋常小学校卒業後は会津若松市内で働いたが17年に東京の軍需工場に、その後工場疎開で福井へ向かう。戦後は会津若松へ戻りアルマイ… 続きを読む

新山実

〔人物〕  昭和31年3月20日、弥治郎新山学の長男に生まれる。昭和46年頃からロクロに上がっていたが、昭和49年4月高校を卒業してから、父学について正式に木地の修業を始めた。曾祖父の栄五郎型を継承している。その後広井道… 続きを読む

高野幸八

〔人物〕  明治2年10月8日、宮城県玉造郡鳴子村の塗師高野幸作・登(と)よの八男に生まれる。父幸作は旅館業高野四郎作の三男、母とよは高橋万右衛門(現鳴子ホテル)の次女。明治21年4月の沢口吾左衛門文書には高野… 続きを読む

石山三四郎

〔人物〕  明治42年4月28日、山形県山寺村芦沢の大工石山三五郎の長男に生まる。石山家は山寺で二代に亘り大工を家業とし、特に父三五郎は腕はめっぽう立ったが、そのため仕事に追われて胃を長く患い続けた。そうした背景もあって… 続きを読む

早坂政弘

〔人物〕 昭和36年4月15日、林業梅津政蔵の二男に生まれる。12歳のとき父が亡くなり、また母も体が丈夫ではなかったので、手に職をつけることを考え 中学校を卒業後昭和51年より佐藤正廣について木地の修業を始めた。仙台市青… 続きを読む

陳野原幸紀

〔人物〕 昭和22年12月5日、福島県土湯の農業陳野原健蔵・フジヱの五男に生まれる。長兄は和紀。以前から兄和紀のこけし製作を身近に見ていたので、こけしには興味があったが、昭和46年スキーで足を骨折したのをきっかけに、兄和… 続きを読む

庄司惣五郎

安政元年2月27日宮城県宮城郡愛子村の小松東十郎の五男に生まれる。兄に六兵衛、今朝右衛門、養蔵がいた。小松藤右衛門(戸籍名:今朝右衛門)は作並で岩松直助について木地を学んだ。惣五郎は兄の藤右衛門について木地を学んだ。明治… 続きを読む

角髪

鳴子の伝大沼又五郎や、高橋勘治のこけしの両鬢の形状を、蒐集家は俗に角髪(みずら)と呼んでいる。 鬢は上方で紐などによって結ばれた様に描かれる。 伝大沼又五郎の頭部(所謂角髪) 高橋勘治(日本こけし館蔵)の頭部(所謂角髪)… 続きを読む

岩松直助文書

岩松直助は、秋田県雄勝郡三梨村出身で、天保の飢饉のころ宮城県宮城郡作並に移り、作並で木地に携わっていた南條徳右衛門より木地技術を修得した木地職人。天保年代より明治初年まで作並で木地を挽きこけしも製作した。 岩松直助文書は… 続きを読む