
〔人物〕大正9年8月7日、東置賜郡高畠町中和田の農業添川貞太郎の長男に生まれた。昭和25年より米沢市仲町のこけし工人小林友次の弟子となりこけしの描彩を学んだ。 ただ軍隊時代に患っていた関節リュウマチが再発したので木地は挽… 続きを読む
〔人物〕大正9年8月7日、東置賜郡高畠町中和田の農業添川貞太郎の長男に生まれた。昭和25年より米沢市仲町のこけし工人小林友次の弟子となりこけしの描彩を学んだ。 ただ軍隊時代に患っていた関節リュウマチが再発したので木地は挽… 続きを読む
本名川崎末吉、明治10年6月2日に堺県 (現・堺市神明町御坊ノ前)に、川崎源平の三男として生まれた。父は堺の戸長(こちょう=明治時代前期に区・町・村に設置された行政事務の責任者)をしていた。兄は〈住吉・堺名所并ニ豪商案内… 続きを読む
〔人物〕大正7年5月13日、岩手県一関市大東町曽慶角北48番地の農業佐藤安治、チトセの三男として生まれた。盛岡市の旧渋民尋常小学校を卒業後に親戚の及川林蔵を頼り鳴子に移った。生まれつき胃腸が弱く、湯治を行いながら林蔵の下… 続きを読む
子供の玩具としてのこけしを直接のスタートととして持たず、収集家・業者等の指導・要請により発生したこけしで、外面的には一見伝統の衣装をまとっているが、伝統的な系譜と直結していないこけしを一般型と総称する。 戦前のこけしブー… 続きを読む
〔人物〕 大正14年2月10日、鎌田文市・さくよの長男として、宮城県白石市新町に生まれた。この年、一家は新町より白石市長町に転居した。孝市は昭和14年4月ころより、父文市について木地挽きの修業を始め、こけしもこの頃より… 続きを読む
〔人物〕 昭和19年11月17日、東京都品川区の会社員鈴木慶次郎の長男として生まれる。 当時父慶次郎は東京芝浦製作所勤務していたが、征一が5歳の時肘折へ帰郷した。慶次郎の父慶太は肘折の横山工場で材料関係の仕事をし、ま… 続きを読む
〔人物〕大正元年12月2日、斉藤真太郎、菊の四女としての酒田に生まれた。昭和元年に山形県酒田市の白畑與太郎と結婚し、夫與太郎や舅重治の木地にこけしの描彩をするようになった。與太郎名義のこけしのかなりの作品は妻女よしの描彩… 続きを読む
〔人物〕 明治18年7月8日、福島県伊達郡板橋の荒物商本田芳蔵・エキの長男に生まれる。〈山村に生きる人々〉には父長吉とあるが、戸籍記載上の父は芳蔵である。父の故郷は福島県田村郡高野村人宇土棚字石田、鎌先の一条旅館の番頭を… 続きを読む
〔人物〕明治30年10月10日、宮城県柴田郡川崎村青根温泉の木地業佐藤文平、つねの長男として生 まれた。父の文平は遠刈田の佐藤茂吉の弟、及位に移った佐藤文六の兄にあたる。丹野倉治の工場の職人となって、青根に移った。青根で… 続きを読む
〔人物〕 大正10年1月15日、佐久間芳衛の長男として福島市早稲町9-20に生まれる。尋常小学校卒業後祖父由吉、父芳衛について木地挽きを修業した。その後、横浜鶴見の芝浦製作所木型部で旋盤工として働く。昭和1… 続きを読む