高橋利兵衛

高橋利兵衛家は秋田県川連で代々漆器の製造販売、染屋、蚕糸の製造業、酒屋、木綿商を営んだ豪商。取引先は、備中(岡山)、京都、大坂、江戸から松前(北海道)にまで及んでいた。 また、藩主の許可を受けて天保元年(1830年)より… 続きを読む

沢田九郎兵衛

生年月日、経歴等は不明であるが、沢田家は、間宮、村井、油川、田中等の諸家と共に大鰐の古い 居木地師である。木村弦三は〈木形子異報・6〉で明治20年の沢田九郎兵衛の挽物値段控帳について下記のように紹介している。 「今は死ん… 続きを読む

青海源兵衛

初代源兵衛は江戸時代中期の若狭出身の塗師(ぬし)、本名は池田源兵衛、津軽四代藩主の津軽信政にまねかれて弘前に移った。 源兵衛は藩主の命で江戸にのぼり、塗師の青海太郎左衛門に入門してさらに技術を磨こうとしたが、翌年江戸で客… 続きを読む

内国勧業博覧会

内国勧業博覧会は、国内の産業発展を促進し、魅力ある輸出品目育成を目的として、明治期に東京(上野)で3回、京都、大阪で各1回の計5回を政府主導で開催されている。第6回内国勧業博覧会を東京で開催する計画があったが、日露戦争後… 続きを読む

大正博覧会

大正3年3月20日から7月31日まで、東京府が主催し、上野公園(後の上野恩賜公園)を主な会場として開催された博覧会。総裁は閑院宮戴仁親王殿下が務められた。 上野公園地の台地上に設けられた第一会場には既存の博物館、美術館の… 続きを読む

志田八郎

〔人物〕昭和11年1月11日、山形県西村山郡西川町大井沢中村の志田菊麻呂、わかよの六男に生まれた。学校を卒業後、建築業の仕事に就いて、昭和30年5月12日佐藤やえのと結婚した。昭和50年より父の菊麻呂の勧めで足踏み轆轤に… 続きを読む

島津彦蔵

 安政6年ころ島津茂兵衛長男として青森県南津軽郡山形村大字温湯字新道に生まる。島津家は代々温湯の古い木地師で、津軽こけしの探求者木村弦蔵(木村弦三)によれば津軽系の木地師は戦国時代から元禄時代にかけて山形地方から移住した… 続きを読む

宮城県博覧会

明治10年には上野で第1回内国勧業博覧会が開催されたが、前後して各地においても博覧会や共進会が行われていた。明治13年には仙台においても博覧会が開催された。 仙台市史には下記のように紹介されている。 「明治13年8月8日… 続きを読む

第2回内国勧業博覧会

明治10年に開催された第一回内国勧業博覧会に引き続いて、明治14年3月1日から6月30日にわたって上野公園で開催された二回目の内国勧業博覧会。西南戦争の戦費捻出を契機とするインフレーション、幕末開港以来の貿易不均衡による… 続きを読む

佐藤文治

慶応3年5月27日、宮城県刈田郡遠刈田新地の佐藤文吉の長男に生まれた。明治18年1月より、義兄佐藤茂吉について一人挽きを6ヵ月修業した。明治19年弟文平に、明治25年弟文六に一人挽きを伝承した。明治23年に東京上野公園に… 続きを読む