カテゴリー別アーカイブ: 木地業

南條徳右衛門

徳右衛門の名前が出たのは〈鴻・3〉および〈こけし手帖・33〉で、いずれも山形小林倉治が木地を習った作並の師匠としてである。但しこの時、姓は岩松で岩松徳右衛門となっていた。 高橋五郎の追求で「萬挽物扣帳」(岩松直助文書)が… 続きを読む

小林家記録書

山形の小林倉吉が明治41年正月より書き始めた家業の記録書。 小林孝太郎 机の上に置かれているのが小林倉吉執筆の記録書 〔内容概略〕 以下に記録書写本の写真をもとに内容を記す。 まず業祖としての惟喬親王を記述した「序」があ… 続きを読む

南條九十治

〈鴻・3〉や深沢要遺稿集〈こけし手帖・46〉に、山形市旅籠町出身で作並で木地を挽いた南條九十治という木地屋がいて、小林倉治を養子にしたとあり、倉治は山形に帰ってから小林姓に戻したと書かれている。 また、小林倉吉が書いた「… 続きを読む

北岡木工所

宮城県遠刈田温泉の木地商北岡仙吉が開設した木地工場。 北岡仙吉 橘文策撮影 北岡仙吉は明治16年5月17日の生まれで、父は北岡仙太郎。明治38年は凶作で、湯治客も減少し、遠刈田地方は疲弊したが、明治40年峨々温泉から来た… 続きを読む

稲子木地講習会

宮城県当局の後援、補助金により、大正7、8年の冬期間二回にわたり宮城県刈田郡七ケ宿村大字湯ノ原字稲子で開かれた木地講習会、講師は遠刈田新地の佐藤松之進。受講者一二名。上の佐藤豊七郎の小屋にロクロを取りつけ、遠刈田で挽く木… 続きを読む

木地細工製作寸法帳

宮城県当局の後援、補助金により、大正7、8年の冬期間二回にわたり宮城県刈田郡七ケ宿村大字湯ノ原字稲子で木地講習会が開催された。講師は遠刈田新地の佐藤松之進であった。 受講者は、大葉与一郎、大葉亀之進、佐藤豊七郎、熱海嘉兵… 続きを読む

金比羅参り

金刀比羅宮(ことひらぐう)は、香川県仲多度郡琴平町の象頭山中腹に鎮座する神社。金毘羅宮、金比羅宮と書かれる場合もある。 江戸時代後期、伊勢神宮へ参拝する伊勢参りとならんで金刀比羅宮への参詣が庶民の間で流行した。安藤広重の… 続きを読む

渡邉源五郎

土湯の木地屋。山根屋の祖(井桝屋分流といわれる)。こけしを作った渡辺作蔵の養父岩治郎の父が二代目源五郎(明治12年5月16日没、行年不明。常安宗心信士)で、二代目源五郎の父が初代源五郎(天保4年10月5日没、行年不明。寒… 続きを読む

岩松直助文書

岩松直助は、秋田県雄勝郡三梨村出身で、天保の飢饉のころ宮城県宮城郡作並に移り、作並で木地に携わっていた南條徳右衛門より木地技術を修得した木地職人。天保年代より明治初年まで作並で木地を挽きこけしも製作した。 岩松直助文書は… 続きを読む